先の著者とは何しゃべってもなんも面白くなさそうだけど、増田とならおもしろそうね。
なんでだろうかってたぶん彼には”人間”的に面白みを感じないからなんだろうけど。
てかまんま「時計仕掛けのオレンジ」みたいな話ね。でもあれ30年以上前の映画だけどな。原作はもっと古いか。
人間は人間としか対話しないって言っても、じゃあどうやって人間を非人間化から守るんだい?
自称人間はもう自称人間のままでいても自称非人間になってもいいって言われてる中で、
どうやってその原則を貫くんだい?
個人的な解決策としては、自称人間でいることを選び続けることだよね。ってのはずっと昔からの結論なんじゃないかな。
自称人間も自称非人間も自称であるという点では同じだよね。選択肢はわたしの方にある、ってことだろ?だけどそう考えると自称非人間ってのはひどく矛盾をはらんでいるように思えるんだけどな。選択できる時点でそれはある種人間であるっつーことじゃないかね。自ら非人間を選択する人間ってのは存在しうるのか?しえないと思うんだ。
つまり動物化計画って言ってるのはその選択の機会を完全に奪うってことでしょ?だから逆に言うとその選択の機会をこちら側が保持している限り、動物化計画は進展しないわけだ。
お前、著者の記事と上の増田の記事ちゃんと読んだほういいぞ 人間的な面白みとか馬鹿なこと言ってるから人類動物化計画が都合よく進むんだろw 人間的な面白みを主張する馬鹿な増田...