明確な差別と区別の線引きなんてできるのかしら?
少なくとも僕にはできない。
そりゃあもちろん明確に分けられるもの、例えばボクシングや柔道の重量による階級分けみたいなのもあるだろうけど、
世の中には一筋縄でいかないような事柄がごまんとあるだろう。
その最も顕著な例として性差の問題が挙げられると思う。
個人として「男は男らしく、女は女らしく」と思おうが「性差にとらわれるのは古い考えである」と思おうが、
そのあたりは勝手だろうし、むしろ互いに尊重されるべき意見。
でも公の人間として、教育者としてそこらへんの問題をどう扱うかってのは非常に難しい。
だって、尊重すべき2つの意見が対立しあってるんだから、
そこを個人の裁量で恣意的に線引きするなんてあんまり褒められたもんじゃないよなぁ。。
で、さらに”尊重されるべきではない”意見についても、かなりグレーなところがあると思う。
ところで僕は個人的に韓国、朝鮮人と知的障害者が嫌いで、
差別反対とか駅前でアピールしてるのを見ると馬鹿じゃねーのとか思ってます。
でも、内心で思うだけなら全然セーフで、誰にも咎めることはできないってのを今の憲法じゃ保障してくれてるの。素敵。
だけれど、これを表明しちゃうとほとんどの人は「差別的だ」と思うだろうし、
更には人格権を傷つけたとか言われて公的に怒られちゃうかもしれない危険性も伴うという罠。
つまり、これは”尊重されるべきではない”意見だってのを社会が認定してるんだよね。
一方で、「男女共同参画社会基本法による積極的改善措置は女性による逆差別である」っていう意見は、
(一部のフェミニストからは反発を受けるだろうけど)賛成してくれる人もそれなりにいそうなんで、
”尊重されるべき”意見として取り扱ってくれるし、公的に怒られることもないでしょう。
でも、(可能性は少ないだろうけど)女性の権利の肥大化が進んだ未来でこういうことを表明すると、
女性の権利や自由を奪う差別的な発言だとして怒られちゃうってこともありうるよね?
もっと言うならば、日本には知的障害者を座敷牢に閉じ込めておく風習があって、
それは当時の視点で見れば不当な差別ではなくて正当な区別だったことだろう。
じゃあ結局差別と区別の明確な違いってなんなのよと聞かれたら、そりゃお天道様にもわかるまいて。
少なくとも差別的かそうでないかは非常に曖昧な社会通念や一般常識、あとはちょっとした法律の上に成り立っているもので、
僕やお前みたいな一個人が勝手に判断できるようなものじゃないんだろうね。
小学生の言う「いったい誰が何時何分何秒に決めたんだよ!」ってのはあながち侮れた質問じゃないよね。