努力しないと食べていけない。でも、食いっぱぐれる恐怖にも耐えられない。
努力しないと家族に迷惑をかける。でも、大切だと感じている人を傷つける罪悪感にも耐えられない。
恐怖や罪悪感は努力するための駆動原理になりうると思う。しかし、「今、努力して目の前の恐怖や罪悪感を取り除かないと、将来、更に大きな恐怖や罪悪感に襲われますよ」と言われても、今現在逃げられる場所があれば逃げ込んでしまうと思う。
努力するための駆動原理として、恐怖や罪悪感だけでは不完全過ぎる。やはり、"努力する意味"というのが必要だと思う。
努力する意味、なんて完全な答えは無いんだろうけど、自分が大切だと思う人との関係、社会との関係、そして自分自身との関係の中で、恐怖や罪悪感を払拭しがたいリアルなものとしてそこに軸足を置きつつ、でもそこにそれ以上の"意味"を自分で見つけ、それを自らの努力の駆動原理としないかぎり、真に自発的かつ持続可能な努力はできないんだろうと思う。
「努力しないと、あなた、最終的には路頭に迷いますけど、怖くないんですか?」
「努力しないと、あなたの大切な家族も巻き込んで路頭に迷うことになりますけど、怖くないんですか?恥ずかしくないんですか?」
「努力しないと、社会システムを経由して他の社会のメンバーに迷惑をかけることになりますけど、よく平気な顔でいられますね?」
といった意見は、まったく地に足の着いた助言だとは思うけど、やはり、恐怖や罪悪感を自覚させ煽るだけでは、努力の駆動原理としては不完全だと思うのですよ…
恐怖や罪悪感から逃れるため、ってのは文字通り後ろ向きな発想だよな。 俺ももっと前向きにがんばりたいんだけど。 前向きになりたいけど、前向きになるのって難しいなー。
anond:20080624211305 「恐怖」や「罪悪感」は存在しているけど 「努力しない」は色即是空系だから心理的負担大きくない? 「ない」を14回使うのは大杉。もっと少なく!