Ust見たし、Ust賛成派の増田から一言。
もし自分が被害を受けたり、被害を受けた人の恋人だったり友達だったり親だったり子だったりしたら、そんな好奇の(あえて好奇って書くけど間違ってないだろ)レンズに晒されたら、耐えられない。犯人憎しは当たり前だけど、下手するとのうのうとしてる撮影してる連中の方に、より強い害意を向けるかもしれない
っていう人がいるから、気をつけたほうがいいよ、とか、やめたほうがいいよ、とは言うかもしれない。あるいは、事件被害者やその関係者に無神経に取材するマスコミを見ると、やりすぎだなあと思うし、なるべくならそういった人たちの感情を逆なでしないように取材するべきだと思う。けれども、「取材するな!」とは思わないし、どれほどマナー良く、あるいはお上品に取材したところで、マスコミとそれを享受している俺は所詮下種な野次馬だろうとも思う。
でもいい。
そこで何があったか知りたいから。それもなるべく余すことなく。知るべきことと知るべきでないことが区別できるなんて思わないから。
もちろん、事件被害者やその関係者の人が「不快だから止めてほしい」と言い出す気持ち自体は理解するし、それは一定程度汲んだほうがいいだろう((あと、故人の意志とかも汲むべきだね))。不幸の総量はなるべく減らしたほうがいいから。でも本質的には見たい。ああ、別にグロ画像見たいってんじゃなくてね。そんなに寄らなくていいです。
逆に「不謹慎だろ!」って思う人に聞きたいのだけれど、ひとが死ぬような状況を記録するのは、賞を取るような報道写真や、歴史的絵画でもやはり不謹慎なのだろうか?例えば長尾靖の撮った浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件の写真は?あるいは処刑されたルイ16世を描いた絵画は?歴史的人物なら尊厳は冒されてもいいの?公人に尊厳はないの?それっておかしくね?それともこれらの写真/絵画はなるべくなら見られないほうがいいし、本当は記録されるべきではなかったの?
結局、報道主体がマスメディアであれ、個人であれ、プライバシー権としての肖像権のあり方あたりがその方法の折り合いの付け所になるんじゃないかと思う。日本写真家協会はこんな感じにまとめている。
表現行為が社会の正当な関心事であること、その表現内容、表現方法が不当でないこと、の二つの要件が整うときは、無断で撮影したり、写真を利用しても肖像権の侵害にはならないというのである。
なにが「正当な関心事」かは大いにもめそうだけれど、苦しむ被害者の大写しなどが「表現方法として不当」というのはコンセンサスを得られるだろうと思うし、そこで最低限の人の尊厳を守ることは可能なんじゃないだろうか。
まあ、取り繕ってもお前は下劣な野次馬野郎だ、といわれれば、その通りですとしか言いようがないんだけどね。
津田大介氏の、 秋葉原事件が起きてから、ずーっと、あの場面をUstで中継することの是非を考えていたんだけど、「やっぱあれはないわー」という結論に達した。ケータイの写メとかは...
Ust見たし、Ust賛成派の増田から一言。 「葬式とか通夜で故人の死に顔の写メ取る人」がいたら、 もし自分が被害を受けたり、被害を受けた人の恋人だったり友達だったり親だったり子...
社会に対して説明せよといいながら逃亡した人の顔を思い浮かべた。
おまえのこと?
自分は葬式カメラマンやったことがあるんだけど、 葬式とか通夜で故人の死に顔の写メ取る人ってどういう教育受けてきたの? http://www.heiwaboke.com/2007/02/post_709.html 自分はとるつもりが...