だから逐次的にズレを修正しつつ議論をするべきだと思うわけだ。
思考→言語1ステップで発生し得る最大誤差がそれほど大きくなければ大丈夫なはずだし、実際それほど大きくはならないだろう。
誤差の最大許容量は直感的には1ステップあたり最大誤差の自然数倍程度にして、その倍率は議論の総ステップ数に対して十分小さくなるようにすればよい。
誤差修正プロセスによって議論の手続き数が増えるけど、声が大きいだけで勝てる議論とか、無意味な煽り合いとかを排除できるなら安いもんだと思う。
微小な誤差が結論を大幅に変え得るような、非線形なケースはそもそも論理的な議論の対象とすべきじゃないと思う。
株価の予想とかね。
それはズレが逐次認識でき、かつそのズレが修正できたと双方が確認できることが前提だよね。 問題なのは、論理が決定的に食い違うまで、ズレが生じていることが認識できないことに...