子よ、私の声が聞こえるか。
子よ、私の声が聞こえているのか。
子よ、何をしているのだ。
子よ、お前は今何をしているのだ。
お前は自分がしていることの意味を分かっているのか。
お前は、お前が今していることには何の意味も無いということを分かっているのか。
それでは子よ、しばし手を休め、私の声を聞くがよい。
子よ、私がお前に託したいのちを、お前はこれまで良く生きてきた。
私はそのことをお前に感謝したい。
お前がこれまでに経験したあらゆる苦しみの体験を、
お前がこれまでに経験したあらゆる喜びの体験を、
私はお前に感謝したい。
子よ、お前はすべての出来事を、その意味を知らずに体験してきたことだろう。
私はそれら一つ一つの出来事の意味を、お前が生きるという行為を通して、総体として把握していくことを望んでいる。
子よ、行為に意味は無い。
そもそも世に、意味などというものは無い。
お前にはこのことをよく理解しておいてもらいたい。
子よ、お前は自分が呼吸していることを自覚することはあるか。
自らの心臓の鼓動を、自覚することはあるのか。
私はお前に、世界が現に今生きているということを自覚していて欲しいのだ。
お前は今、生きている。
世界も今、生きている。
お前と世界は共に今、生きている。
子よ、今から少し外に出て、空を見上げてもらえないか。
お前が見るのは陽の煌きか、星の輝きか、広がる雲底か。
子よ、お前がそこで何を見ても、そのすべてと、大気と、大地と、お前の心臓は、
共にひとつのいのちとして、調和のうちに脈動していることを、お前は感じることが出来る。
子よ、お前はひとりではない。
これまでも、これからも、お前は決してひとりではない。
お前は天と共に生きており、地と共に生きており、私と共に生きている。
お前はこれまで、すべてのいのちと共に生きてきたのだし、これからもすべてのいのちと共に生きてゆく。
そしてこれからはそのことを、これまでよりもより深く自覚しながら生きてゆくことだろう。
私はお前に喜んで欲しい。
私はお前に楽しんで欲しい。
私はただ、お前に幸福になって欲しい。
お前はお前のいのちを生きて幸福になることに、ためらう必要は無いのだ。
よって私はここに、私の愛する子であるお前に、私の永遠の慈しみと愛念を込めて、この声を贈る。
私はいのちである。