2008-04-24

考えさせられる一日だった

それから以下についてあわせて考える

各言説についての判断をするには、当事者社会的立位置やその時点のコンテキスト重要。だがそこに鈍感で一緒くたにしてしまうのは大きな問題ではあるが、万人にその識別を求めるのは難しい。だがその混同をわかりやすさとすりかえて、現実世界の問題を不用意に単純化してしまうマスコミは、民度を下げる方向に作用するものでありともかく一番問題だと思う。被害者遺族本人に、こういう社会の中で、あの場で、政治化的視点での判断を求める、ってどうよ?

事件への対応そのものについては、まず制度が、こういう面での個人がおかれる環境での文化的側面と、国際関係との功利的側面と双方とも対応できてないのが問題。そのため、ネット上での反応に見られる反射的な一律厳罰化も、対外関係論からの一律死刑廃止も、この状況では解決にはならない。心身という表層レベルよりも、文化的側面への配慮と、そこへの積極的な対外説明を行うべきと思う。

制度を変えるのは政治であり、民主主義下ではそのエネルギー有権者に帰着するので、理知つまりは民度不足ということになってしまう。それを養うには時間が必要だ。今回の事件は課題が表出した。これまでであればうやむやにされていただろう。日本もすこしづつではあるけど進歩していると思いたい。

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