俺は現在、27歳ニートである。職歴はない。バイト歴もない。大学出てから4、5年近い空白がある。
両親からのプレッシャーのきつさもあって、最近少しずつ面接を受け始めたりしているので、正確には「ニート」とは言えないのかもしれないけれど。
面接はやはり芳しくない。まず空白を突っこまれる。上手い嘘もつけず、口も回らない俺の面接はそこで終わる。バイトの面接でさえそんな感じだ。
あと何十回、何百回俺は落ちるんだろうか。
ニートになった直接の原因は新卒時の活動に失敗したから(特に面接)と言えるわけだが、遠因にはやはり中学時代のいじめがあった、と思う。
いじめがあって、他人とうまく話せなくなったというか。
信じてたやつの裏切り、傍観者たちの冷たさ、いまでも思い出してぞっとすることがある。
それでも俺は、毎日学校に行っていた。
本当は行きたくなかった。けれど、どうしても親にそれを言いだすことはできなかった。
その当時の俺の認識として、不登校=落ちこぼれ、というものが強くあったし、親に息子は落ちこぼれであると思わせたくなかった。心配もさせたくなかった。それに学校を巻き込んでの大事になって、余計に恨みを買うのも怖かった。
怖さ同士のせめぎ合いのなかで、結局俺は不登校を選べなかった。なったところで、いじめという現実が改善できる、という望みも当時の俺には感じられなかったから。
あえぐようにして生きた中学生活を終えると、高校大学で、俺は目立たないように生きようとした。
自分から行動することはなく、人となるべく交わらず、関心を向けられないようにつとめた。
結果、確かにいじめられることはなかった。でも、友だちもひとりもできなかった。
そして、自発性を抑えて生きたために、なににも興味を持てなくなり、人と話す能力もまわりとくらべて著しく劣っていた。
そういう人間は、なかなか就職活動をしても最初から上手くいくことはない。困惑と混乱と苦悩のなか、俺は戦うことをそのときあきらめてしまった。長いニート生活のはじまりだった。
もしあのころ、不登校を選択していたら……と考えることがある。
たぶん、まともな高校には行けなかっただろう。通信制か、大検か。とにかく回り道をして大学に行くことになったと思う。
その過程でおそらく――不登校になるまで、なってからのカウンセリングなどのなかで――ありったけの本音を大人相手にぶつけあえていただろうと思う。
親に不出来な自分を見せたくなかったばかりに、自分の気持ちや本音を抑えて生きてしまったことが、コミュニケーション力の成長を阻害したとも言えるんじゃないかとか、思うのだ。
おそらくは、大学生のころ、いまよりも自分そのものであろうという意識が強かったと思う。なんだかはっきりしない文化系サークルにでも入って、そこそこの友だちでも作れていたかもしれない。
だいたい、挫折するなら早いほうが、若いころしかしてはいけない。
22をすぎてからの挫折は取り返しがつかない。
その歳から本音をぶつけ合ったところで、もう手遅れ、なんとか何年かかけてまともに自分を出せるようになれていたとしても、そのときにはもう、面接官は(空白の長さを見て)相手にしてくれない。
もしいじめや人間関係やなんかで不登校児になろうかどうかで悩んでいる若い学生がいたら、君たちに伝えたい。
堂々と不登校になれ。
俺のように22すぎてから発露してしまうより、若いうちにそういうものは出してしまったほうがいい。