ボクはキミより賢いのだから、ボクの言っていることはキミには理解不能なんだ。ボクの言っていることを理解不能なキミが、ボクの言っていることを批判しても的外れなだけで議論になんかならない。だから、キミはボクの意見を批判してくれるな。
こんな風に、誰かから自分の意見を批判されると「ボクちゃん賢い」という前提を振りかざして、議論を止めようとする人がいるけれども、そういう人たちには、たいてい、次のような特徴がある。
1.議論における「賢さ」の尺度は、議論をしている人の展開する論理の正しさ(演繹と帰納の確かさ)であることに気づいていない。
2.論理の正しさを自身で検証することができない。
3.自分の論理が破綻していることに気づいても、それを認めようとはしない。
たとえば、冒頭の「ボクはキミより賢いのだから、フニフニ」という演繹論法にしたって、彼らは演繹の最初の前提である「ボクはキミより賢い」が正しいといえないことがある、穴のある論理だということに気づいていないか、認めようとしないのだ。
上にあげた3つの特徴全てにあてはまる人と議論するのは時間の無駄だ。論を戦わせるよりは、相手が、「自分で状況を見て、考えて、結論を出した」と思うような方策を採るのがうまいやり方だと思ってる。