読んでないので内容は色んな人が色々言ってるのから何となく想像するしかないんだけど、恋空は読み物としてヒットしたというよりもコミュニケーションツールとしてヒットしたんじゃないかと思う。以下は主な恋空読者の同性としてのカンで書きなぐっているのでフーン程度に見ておいてください。
女子高生〜小学校高学年を中心とした世代の女の子にヒットしてるそうだけど、女性、特にこの世代の女の子(思春期)にとって仲間たちと同じ感情を共有できない、話題についていけないっていうのは自分の存在を危うくすることになる。女同士の仲間内でリーダー的な存在の女子が「恋空で感動して泣いちゃったー。読んでみなよ絶対泣けるから!」なんていうとそのグループ内では「全然泣けなかった」とか「どこが感動すんの?」という回答はありえないんである。女性のグループには仲の良さとは無関係な部分でヒエラルキーが存在してることが多いので、リーダーと価値観を共有できなければグループからは離脱に向かう。というわけでリーダーがおすすめしたものはグループの他の女の子に波及し、「感動した!泣けた!」とリーダーあるいは他のグループ構成員の女の子と言いあうことでグループとしての連帯を保っている。なおかつこの時期独特の過剰な自意識もあいまって、恋空に共感して感動して泣ける自分に対してはちょっと特別な思いでいる。小説とかドラマ、映画の選択基準が「泣ける」ということなのは多分そのため。
もちろんそもそも価値観の似た物同志がグループを作るので、同じ物に接したら似たような感想を持つのは自然なんだけど、ここまでヒットしてしまうのは彼女たちの仲間意識がすごく広いところ、見ず知らずだけどネット・ケータイで同じような感想を書き込んでいる誰かまで対象になっているからじゃないだろうかと思った。昔から同じように女の子たちは「あれ読んだ?泣けるよねー!」という会話を繰り返しているんだけど、そうしたコミュニケーションで同じ感情を共有する相手がほとんど見ず知らずの人間にまで広がった結果がこの現象なのかなと思ったりした。
そして恋空を批判するグループも、恋空を批判するということでコミュニケーションが成り立っていたり。その結果、また恋空現象は大きくなっていたり。