クドリャフカっているだろ、クドリャフカ。
宇宙開発の為の犠牲になった犬な。
無事に帰る機材が作れなかったからって安楽死させたと思ったら暑さで苦しんで死んだあの犬な。
最近、ギャルゲの子の名前になったらしいんだけどどうも違和感を覚える。
さらに、50周年追悼イベントなんてイベントの告知見たりして違和感を覚える。
「楽しいイベントにしたい」って…どうよ?
死んじゃった人の追悼で、その人が明るく騒ぐことが好きだったり、
自分が死んだら「悲しまずに楽しく集まるきっかけになれば」
なんて遺書を残していれば良いと思うんだけど
実験のために殺された動物にそれはないんじゃないの?と考えてしまった。
Permalink | 記事への反応(1) | 19:01
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実験動物として、穏やかな死を迎えることのできなかった子と比較する対象ではないと言われればそれまでなのだけど、警察犬とか盲導犬とか、ものすごいストレスフルな仕事をひたすら...
たぶん、そのようにして人間が利用した為に死んでいく動物は 「食うために殺す」の延長線なんだと思う。 だから緩慢に殺されていくのも、さくっと殺されるのも同じなんだろう。 そう...