2007-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20071121185125

端的に、あなたの言うとおりだと思う。

因みに、「正しく強く」って言い回しは「正論振りかざしてる」って文脈で使ってるんじゃなくて、あなたの言うところの

次の瞬間には理不尽な理由で死ぬかもしれない、命とは生きるとはそういうものだ、という諦観

を得られる強さ、また、その認識の正しさを指してる(んだと、あなたの文章を読んで気づいた)

私の言う違和感は、直接的に書くと、そういうある種の諦観を言語化=客観化できる時点で、それはセーフティネットの上から、下を見下ろして感傷に浸ってるだけなんじゃない? ってことなんだと思う。『蜘蛛の糸』の神様が雲の上から地獄を見て「悲しいなあ」って言うような感じでさ。

それが間違ってるって言ってるわけじゃないんだけどね。間違ってるとか正しいとかじゃなくて、ただ、その行為自体に感じる違和感はあるよね、っていう。

ここにただいることだけで、意味があるのだ、少なくとも私にとっては。そしてそれで十分である。

じゃあ、黙って生きてください、とまでは言わないけど、↑みたいな認識に本当に至る人間は(至った事がないから分からんが)、こんな事言わないんじゃないかなあ、と疑っちゃうわけよ。鶏と卵みたいな話だけど。

記事への反応 -
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