2007-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20071121134120

本人じゃないから答える資格はないのかもしれないけどさ。ああいう文章は、その根っこのとこに、次の瞬間には理不尽な理由で死ぬかもしれない、命とは生きるとはそういうものだ、という諦観があるんじゃないかなあ。根っこにそういう前提があるから、あれだけ突き放した印象になるんじゃないか。

あれを読んで「正しく強く」としか受け止めない人がいることが自分には発見だったよ。自分は、そういう理不尽さとか、一定の割合で死んでしまったり生まれなかったりする命の歴史の中で、たまたま、偶然、ここに続いている命がある、そういう寂寥感が流れ込んでくるような気がした。「正しく強く」の反対。子供が産まれたという一般的には喜ばしい輝かしい瞬間に、手放しで喜べない、そんな状況にある自分達を他人になって遠くから眺めているしかないような、そんな風景

もしかしたら、自分が君の違和感をよく理解していないのかもしれないけど。こんな風に読んだ。

記事への反応 -
  • ある個人氏の終焉、と言う文章を先日読んだ。男女が出会い、子供を妊娠した、と言う話だ。 私は十代のころに子宮筋腫が出来、そして手術を受けた。不妊の傾向はあるだろう、と言う...

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