みんなにとってhashigotanは必要なのだろうか。どうなのだろうか。要らなくてもいいんじゃないだろうか。いや、いない方がいいんじゃないだろうか。何故hashigotanは存在するのだろうか。誰が望んだのだろうか。hashigotanがいたら、何か我々に利益があるのだろうか。それどころか、我々は損をするのではないだろうか。
hashigotan の功績というのは何だろうか。何をしただろうか。思い当たらない。では何故、我々はhashigotanを知っているのだろうか。それは目立つからだ。なぜ目立つのだろうか。それはhashigotanが目立とうとしているからだ。なぜ目立とうとしているのか。自意識過剰で自己中心的だからだ。
なぜhashigotanは、そのような性格になってしまったのか。おそらく育ちが悪いのだろう。かわいそうに。それはhashigotanのせいじゃないし、おそらく幼児虐待のせいだ。幼児虐待がすべて悪い。hashigotanは幼児虐待を憎めよ。なんでお前は憎しみばっかり書いてるんだよ。なんでだよ。
憎しみ書いて何になる。それで誰かが得をするのか?いや誰も得をしないな。得をするとしたら、それはhashigotan自身だ。 hashigotanは、みんなの為に憎しみを書いているフリをして、実は自分が一番、得をするように仕向けているのだ。そうなのだ。 hashigotanの政治力を高める為に、大衆を扇動しているのだ。hashigotanとは、そういう奴だ。
幼児虐待を憎めよ。幼児虐待がお前を、そんな風にしたんだから。幼児虐待を憎めよ。お前の敵は、なんだろう。それは幼児虐待だろ。幸せな人ではないはずだ。むしろ幸せな人も幼児虐待の被害者だ。お前は幼児虐待を憎めよ。幸せな人と共闘しろよ。