2007-11-11

ケータイ小説(笑)

とかスイーツ(笑)とかゆとり(笑)とか

そういうのって、人事なのになんだか腹が立つ。

自分が、ケータイ小説が好きで、スイーツ好きで、ゆとり教育受けてるってんなら腹立つ理由は自明なのだが。

あいにくそうではない。ケータイ小説は好きじゃないし、スイーツも好きじゃない。ゆとり教育も受けちゃいない。

故に「ケータイ小説(笑)」とか言ってても、俺は、別に怒る必要はないわけだ。俺もケータイ小説好きじゃないのだから。

しかし誰かがケータイ小説をバカにしてるのを見ると腹が立つ。別に好きでもないのに、ケータイ小説を庇ってしまいたくなる。

ケータイ小説スイーツじゃなくても、要は、「誰かが何かをバカにしている」のを目撃すると、腹が立つ。その「バカにされているもの」に自分が関係なくても、寧ろ自分も嫌いであってもだ。

そしてそういったエントリに、無邪気に同意レスなんかが多数ついていたりするとこれまた腹が立つ。

ケータイ小説(笑)、こういった書き方にも腹が立つ。

何故か?自分でもここら辺は把握しきれていないが、自分なりに分析した結果まで言うならば、

「こいつらは、無条件でバカにしてもいい存在だ」そういった感覚が垣間見えるのが、嫌なのではないか。俺は。

ネット(に限った話じゃないかもしれないが)ではサイバーカスケードの効果もあって、こういう「何かを嫌いな者たちが集まり、その嫌いなものを考えるまでもなく当然唾棄すべきものと言わんばかりに悪態をつく」、ああ、つまり、アンチによるリンチみたいな事が怒りやすい。それが俺はおそらく嫌なのだ。確かに、ケータイ小説は好きじゃない。いや、嫌いだ。しかし、だからといって、「ケータイ小説は当然嫌いであることが正しく、けちょんけちょんに罵られても仕方の無いもの」と言わんばかりに皆で叩く感じ(最早叩いている、という自覚すらない感じ)、……それは嫌で仕方が無いのだ。

ケータイ小説を理由をつけて「好ましくない」と批判するのは構わない。しかし「ケータイ小説だからw」「ケータイ小説じゃあねえw」そんな「バカにしてもいいものだから」と言わんばかりな態度、またそれらの人間がそうかけてしまう、「ケータイ小説なんてバカにしたって構わない」という土壌(ここでいうなら増田)、それが嫌である。「ケータイ小説なんてバカにしたって構わない」という土壌を知っていて、反論なんて誰もしてこないのをいいことに、ケータイ小説をバカにしあざけ笑うエントリを書く……そしてそれに同意レスがつく……そういった構造がはてしなく嫌いだ。身内の陰口が、何倍にもいやらしくなり、スケールアップした感覚

なかなかこの思いを言語化できないのが歯痒い。

一番嫌なのは、あからさまにバカにしているものじゃなく、寧ろ本人達は「バカにしている意識すらない」であろうものだ。あからさまにバカにしているものは、本人達にも自覚があるからまだいい。「アンチリンチ状態」になっているのに、それに本人達は全く気付いておらず、「当然の事」と思い込んでいる、アンチなんかじゃないと思っている、リンチなんかしていないと思っている、客観的に見ていると思っている、その怖さ。こういう連中は本当に腹が立つ。

  • 人はえた・ひにんを作り続けなければ生きていけない生き物なんですよ。

  • 人間の感覚としては正常だと思いますよ。 ただ、無意識に相手をバカにする感覚というのも一般的に存在しますね。あ、日本人限定かもしれませんが。 普通の一般人はとにかく下をみま...

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