国際感覚の欠如した日本人の(特に若者)にとって、外国人差別とは中学校のいじめと変わらない。
誰もが「いつ自分がいじめられる側に回るか」と想像して怯えている。
では、いじめられないためにはどうすればいいだろうか。
とてつもなく理不尽で差別的で非人間的で非論理的な侮蔑を行えばいいのである。
それは絶対に反論されない。
「非論理」は、どんな論理を以ってしても立ち向かえないものだから。
互いが互いをいじめようとしている空間で、勝敗を分けるのはそういう部分である。
どちらがより過激に容赦なく相手を侮蔑できるかが問われる戦場。
怯んだ瞬間に敗北が確定するゲームである。
そうした行為が自分を勝者にすると信じているからだ。