2007-10-17

平和ボケ

日本平和ボケしていると言われる。

ボクはそういうことに無関心ではないし、痛みを感じる心もある。

平和ボケなんかしていない、と思っていた。高校生半ばまでは、そう本気で思っていた。

学校戦争について学んだ。修学旅行では広島原爆資料館にも行った。

歴史で学ぶ戦争というのは、道を誤り続けるダメ日本像だった。

戦争残酷で悲惨で、そして間違いだと。

そうボクが思うには十分な授業だった。

戦争ダメなこと、それは軍隊の保有、軍隊への巨額の投資、それらに良くない印象を抱かせた。

戦争に関わる全てに良くない印象を持った。

自衛隊という名の仮面を被った軍隊に対しても、良い印象を持つはずも無かった。

日本世界に誇ると教えられた憲法9条に反する軍隊

良い印象を持つはずが無かった。

平和を求める日本とボクには、それら全てが障壁にしか見えなかった。

高校生のとき、思いがけず軍事や政治について興味を持った。それは偶然だった。

ボクの常識は徐々に崩れていった。

平和国家と思っていた日本がどれだけ戦争の真っ只中に居たのか。

国防というものがどれほど大切で難しいものなのか。

知ったことは数限りなかった。

今の私の考えが正しく最善なものかは分からない。

しかし今の方が明確に平和というのが見えている。

以前は平和を目指していたのではなく、戦争から逃げていただけだった。

日本があるべき姿もおぼろげながら見える気がする。

ボクは平和ボケしていた。

私は思う。

自分は本当に偶然の結果、戦争について知る機会を得た。

でも、その偶然を持たなかった同級生は?

彼らの戦争義務教育の授業での戦争のままなのではないだろうか。

それは恐ろしいことだ。

偏った視点、狭い方面からの戦争教育

戦争を良しとしない敗戦国が作り出した偏った平和万歳の教育

これが平和ボケの元凶なのかもしれない。

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