私の後輩は人に質問するとき、よくこういう聞き方をする。
単に
「Aですか?」
と聞かれれば、「はい」もしくは「いいえBです」と答える。
もしAのとき、
「Aですか?」「はい」ですむところ、
「Aですか? それともB?」と聞かれるので「Aです」と答えることになる。
Aが「A」だけならまだいいんだけれど、AとBが長い単語だと、質問がちょう長くなる。
しかも会話においては、相手がいつ話し終わるのかわからない。無線のような半二重通信なら、話し終わりに「どうぞ」と言うが、対面での会話は全二重なのだ。
「Aですか?」と聞くだけの質問もありうるため、「Aですか?」と聞かれた時点で「はい」と答えることがある。
だから、「Aですか?」の次に向こうの「それともB?」とこちらの「はい」が重なって混乱してしまう。
もしBなら、向こうの「それともB?」とこちらの「いいえBです」が重なって、もっと混乱する。
最初から単に「Aですか?」と聞いてくれれば会話が混乱しないし、そもそも短くすむのにな、と思う。
で。
後輩の「Aですか? それともB?」という質問は、相手から「いいえ」と返されないための聞き方なんじゃないかと思っている。
間違ったことを質問するのを気にしすぎというか。
もし「Aですか?」が違っててこちらが「いいえBです」と答えたからといって、こちらは別に気分を悪くしたり、間違えるなんてアホやねとか思ったりはしない。
ということをときどき指摘するし、後輩もそのたびに「確かに」と言うけれど、それでもつい「Aですか? それともB?」と聞く癖はなかなか変わらないようだ。
後輩の「間違ったことを聞かない」ことを目指す姿勢、それ自体は悪いことではない。むしろいいことだ。
その代わり、「間違えたらダメだ」という考えが、人よりちょっと強いんじゃないだろうか。
俺はそのケが強いと思う。 オールオアナッシングな思考をする人は、求める対象にちょっとでも不備があると興味関心やる気等がゼロになる傾向があるという。 まさに俺はそれ。不備が...
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ていうかボーダーライン気味じゃね? 病的っていうか病気じゃないか? そこまで思いつめるのはちょっと異常。
ボーダーラインというより、まさに境界性人格障害に足踏み入れてるね。
こういうエッジの効いた考え方は好きだな。
anond:20071011033208 何故こんな性格なのだろうか?普通の家庭で育ったのに。 これはちょっと怪しいな あんたの感覚は普通とずれてるから、ホントに「普通の家庭」なのかはすごく怪しい
ところで、その治療を諦めたら、あんたは負けた事になるのか?
あー、すっごい分かる。 オールオアナッシング。私もそう。 なんていうか、「こうするべき」っていう気持ちが強いんだよね。Bにするには、Aがこの状態でないと「できない」って考え...
俺にとって、彼らカウンセラーの言う「治す」事とは、「諦める」事なのだ。敗北する事なのだ。完璧なんて無理さ、と白旗をあげ、フツーの生き方で、満足する。彼らの「治す」はそ...
「元」ってことは今は完璧主義者じゃないってこと?
つーか自分が傷つかざるを得ない時点でそんなもん完璧じゃねーよ。 完璧を目指してる自分に酔ってるだけにしか見えねー。
減点法で考えているのが原因だと思う。 完璧を目指したって良いんじゃない? ただ、その完璧というものは 他人が用意したものを見つけるというものでなくて、自分が作り出すので...
http://anond.hatelabo.jp/20071011033208 これおもいだした