2007-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20070626130816

広告というのは工業化と共にある。

大量生産生産設備に集中的に資本投下する代わりに数桁違う大量の製品を量産することで一つあたりのコスト押し下げる。販売見込みが大きくなればなるほど競争力は増して最終的な利益も大きくなる。

広告はその捌ける数の見込みを押し上げるためにあって、1万個売れる商品を宣伝で10万個売ることが出来るならその利益の増加分までの広告費用は正当化される。

その手段はマスメディアの登場によって既に構造的な効率化が極限まで進んでおり、そのため様式化し、ごく最近まではテレビで一定時間露出さえすれば十分な広告効果が得られるという単純作業ながら大きな対価を得ることが出来る安易な事業だった。しかし事業は既得権益に大きく依存し参入障壁となっていたため競争らしい競争は起こらなかった。

革新の動機は失われたことで「マスコミでもっともらしく紹介すれば売れる」という認識の単純化がおこり、世代の交代とともに誰も広告の機能と意義など忘れて自分勝手な勝利宣言の叫び合いに明け暮れた。

(註:実際の営業はお客さんと付き合うのでもっと細かな芸が無いといけない)

今は世界は腐海に沈み、自分の行いの意味を理解する知者など死に絶えてただ生活する愚民だけとなったが振る舞いだけはかつての文明人のようにとることは出来るのだ。

「アフィ、アフィ、ハテブーね、シャッチョさん、10のホウホですごっく儲けよ。マシュアプね。」

記事への反応 -
  • ネットではいろんなサービスが次々立ち上がって、それを追いかけるのが面白かった。でも、もう限界かも。このごろニコニコ動画を見ていて、つい「コメントを非表示」にしてしまう...

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