子供の労働力・金銭に関しては、子供が少ないと一人あたりの負担が大きくなる。
だから、子供は多いほうが良いとおもうんだ。まさに分散投資だね。
けど、どうやらこの投資にはパートナーが必要らしいんだ。
何年もって要領悪いんじゃないの
うち普通にはいれましたが…
つーかそのために用意しとくべきだろ!金を!
あーっと、そうなった場合に、子供が放っておいたら罪になるんだっけ?
結果は……面白い作品だった。場内は静まり返り、爆笑は一度もなく、クスクス笑う声も聞こえず、コメディ映画の醍醐味である見知らぬ大勢の観客との笑いの共有は全くできなかったが、確かに面白かった。面白かったのだが、傑作に成りえる片鱗を多く見せながら、纏めあがった一つの作品は、凡庸なものに落ち着いているという歯痒さがある。
何度も髪を掻き揚げながら喋る大佐藤、だんだんタメ口になっていくインタビュアー、汚い家屋にぽつねんと一つ置かれている最新型掃除機や、インタビュー中に挿入される人気があった頃の大日本人グッズなど、一つ一つのディティールを取り上げた場合、とても面白いと感じられる。スクーターに乗り変電所へ向かって坂を登っていく大佐藤を、背後からひたすら追っている映像は震え上がるものがあるし、大佐藤がインタビュー中に話す野良猫の野良とは、怪獣の怪とはといった大佐藤なりの細やかなこだわりを語るシーンが面白い。
その面白さを歯切れ悪くしているのは、最新鋭のVFXで描かれている大日本人の戦闘シーンである。予算の大半は戦闘シーンに掛けられているのであろうし、怪獣の造形は独特な気持ち悪さと愛嬌を持っていてそれはそれで面白いのだが、はっきり言って邪魔だ。このシーンだけ、それまでのドキュメントタッチという手法がどこかに行ってしまい、普通の映像、それもお遊戯みたいなつまらない戦闘が続く。この瞬間、この映画の魅力がどんどんなくなっていく。
この映画はドキュメントタッチに徹底的にこだわり、お笑い的なボケを一切捨て、しょうもない嘘をついて見栄を張る哀愁感たっぷりの大佐藤をひたすら映していればよかったのだ。変電所内を白装束を着て颯爽と歩く大佐藤を映した後、一転して戦闘後のなんだか情けない大佐藤を映していれば、その哀愁と面白さは際立っていただろう。酔っ払って上機嫌になり、折り畳み傘を片手に「大日本人だよ!」と言ってふらふらと去っていく大佐藤の後姿で完結していたら、この映画は傑作になっていたのではないか。
もっと言えば、松本人志を画面に出すべきではなかった。大佐藤を例えば「働くおっさん劇場」に出ていた野見さんのような、限りなく素人に近い人がやる。そこまでリアリティとドキュメントタッチにこだわるべきだった。とても残念な作品だ。
つーかその母も、自分の家族じゃないんだからほっとけばいいのに。
変に世話してあげるから、そういう父が(あ、やってくれるんだ。ラッキー)てな感じで調子乗るんだよ。
本当に知らないのかな…
たとえば脳に血栓がつまるとかして倒れたとする。
突然介護が必要になる訳だ。
そこから老人ホームを探す。
見つかるまでに何年かかると思う?
入れたとしていくらかかると思う?
結局、子供の労働力or金なんらかの形で子供に頼らざるをえないんだよ。
その台詞は、悪意こめてたとえすぎだろう。
「俺今風邪だから、外でたくないんだ。代わりにアイス買ってきてくれん?」
とかそんな感じだろう。そういう事言われたら、俺は買ってくるけどね。普通に。
野比のび太を忘れるな。
ホームがあるじゃん。
>「目の前の友達が風邪だったらお前は気遣わないのか?」という話と同じなのではないかと思うのだが。
まったく違う。
風邪の話で言うなら、今回の件は「自分は風邪だからやさしくしろ。アイス買って来い。」というのと同じだ。
別に愚痴くらいいいよ。他にも愚痴なんてあふれてんだろ。
変なもん振りかざしてんのがダメなんだよ。
じーちゃんばーちゃんには悪いが、
父方の祖父母が既に亡くなっている我が家は
ある意味で幸せなのかもしれないと思った。
老人介護の現状を知らない幸せな人だと認識しました。
ぶっちゃけ子供が面倒見るほかどうしようもないのが、今の介護の現状です。
認識不足。
ん?
正当化っていうか、実際問題生理のせいでそうなっているなら正当化も何も単なる事実ではないのか?
鬱の場合も、実際問題鬱のせいでそうなっているなら単なる事実ではないのか?
正当化、というからには、「本当はそうじゃないのに、生理や鬱ってのを盾にして、正当化してる」というような事をいいたいのだろうが、(そうでなきゃ正当化にならんよな)「本当はそうじゃないはずなのに(あるいは、それだけじゃないはずなのに)」という事を、一体君はどこでどう判断し、かつ、その判断に絶対的信頼を置いているのか?
君の言い方では、結局生理ないしは鬱のときに「生理、ないしは鬱でこれこれこうです」という理由を言った場合、事実そうであろうがなんだろうが「正当化だ」ということになってしまう。つまり、彼彼女らは理由を説明した時点でアウト、ということになる。かといって、説明しなかった場合に、君は彼彼女らがどこかいつもと違う理由を、「生理ないしは鬱だからだ」と判断できるのか?
君が何をいいたいのか、イマイチ分からないな。
大袈裟だよ。元増田は「それがメインじゃないにしろ」って言ってるね。
最終的に親の面倒は子供が見るのが自然なん形じゃないの?これって古い考えかもしれないけど。
別に子供に世話させるのが嫌or親の世話するのが嫌なら、別に従わなくて良い考えだと思うよ。
とにかく相手の人間がそういった身体的な不調・病気、などで気分が悪いならば、気遣うというのが普通ではないか?生理の事となるとやけにぐちゃぐちゃ考える男女が多いようだが、単純な話、「目の前の友達が風邪だったらお前は気遣わないのか?」という話と同じなのではないかと思うのだが。『鼻水昨日からでまくりでさ……まいったよ』という愚痴を「風邪だからといって、自分は容赦しない!」とつっぱねるのかい?
もっと基本的に人に優しくあろうよ。
「何故俺が、私が、そんなことをしてあげなければならない?」「自分が損だ」とか、そういう事考えすぎて頑なになってる人が多いけどさ。でもそういう増田だってなんだかんだ、家族が調子悪かったら気遣ったりするんだろう?人に優しくあることは恥ずかしかったりダサかったりする事ではないんだぞ。
男増田です
ところがその愚痴を漏らしてしまう理由が生理(PMS)となると、なぜか男性は気に障るようなんだよね。お前らがヤリマンヤリチンにルサンチマン溜めて撒き散らしてる愚痴とおんなじだっつーの。
PMSでイライラしたり愚痴こぼす人というのはそういうものであるなあ、とおもって気にならないのですが、イライラしたり愚痴をこぼすことをPMSで正当化しようとする人と会うとしょんぼりします。
欝で馬力が上がらない人を責めたてようとは思わないのですが、馬力が上げない理由を打つのせいにする人にあるとしょんぼりするのと同じだと思っています。
父方の場合であってもこういう状況になっている家は割と多いんじゃないかと思う。
うちの父親も自分の兄弟や母親に関することはすべて嫁(私の母)に丸投げ。
祖母が入院していた時も様子を見に行くことすらしないし、たまに来たと思ったら
あまり見たくないらしく早々に引き揚げる始末。魂の底から軽蔑した。
共働きで稼ぎが変わらなくてもこういう状態って一体どゆこと。