結果は……面白い作品だった。場内は静まり返り、爆笑は一度もなく、クスクス笑う声も聞こえず、コメディ映画の醍醐味である見知らぬ大勢の観客との笑いの共有は全くできなかったが、確かに面白かった。面白かったのだが、傑作に成りえる片鱗を多く見せながら、纏めあがった一つの作品は、凡庸なものに落ち着いているという歯痒さがある。
何度も髪を掻き揚げながら喋る大佐藤、だんだんタメ口になっていくインタビュアー、汚い家屋にぽつねんと一つ置かれている最新型掃除機や、インタビュー中に挿入される人気があった頃の大日本人グッズなど、一つ一つのディティールを取り上げた場合、とても面白いと感じられる。スクーターに乗り変電所へ向かって坂を登っていく大佐藤を、背後からひたすら追っている映像は震え上がるものがあるし、大佐藤がインタビュー中に話す野良猫の野良とは、怪獣の怪とはといった大佐藤なりの細やかなこだわりを語るシーンが面白い。
その面白さを歯切れ悪くしているのは、最新鋭のVFXで描かれている大日本人の戦闘シーンである。予算の大半は戦闘シーンに掛けられているのであろうし、怪獣の造形は独特な気持ち悪さと愛嬌を持っていてそれはそれで面白いのだが、はっきり言って邪魔だ。このシーンだけ、それまでのドキュメントタッチという手法がどこかに行ってしまい、普通の映像、それもお遊戯みたいなつまらない戦闘が続く。この瞬間、この映画の魅力がどんどんなくなっていく。
この映画はドキュメントタッチに徹底的にこだわり、お笑い的なボケを一切捨て、しょうもない嘘をついて見栄を張る哀愁感たっぷりの大佐藤をひたすら映していればよかったのだ。変電所内を白装束を着て颯爽と歩く大佐藤を映した後、一転して戦闘後のなんだか情けない大佐藤を映していれば、その哀愁と面白さは際立っていただろう。酔っ払って上機嫌になり、折り畳み傘を片手に「大日本人だよ!」と言ってふらふらと去っていく大佐藤の後姿で完結していたら、この映画は傑作になっていたのではないか。
もっと言えば、松本人志を画面に出すべきではなかった。大佐藤を例えば「働くおっさん劇場」に出ていた野見さんのような、限りなく素人に近い人がやる。そこまでリアリティとドキュメントタッチにこだわるべきだった。とても残念な作品だ。
松本人志主演というのが、吉本がお金を出す条件だったんだっけ?本人も素人にやらせたかったと語っていた。まだ初めての作品だし、次も楽しみ。