2007-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20070609015544

一人が何かを主張する。それは罵倒だった。それに対して、反論する人はいなくて、何かを周囲でぶつぶつ呪文のように呟いているだけだった。罵倒する人は一人で正直者を貫いて、ダブルスタンダードも敢えてやっていたから、「もしかしたらダブルスタンダードでなにをいっても通じないのかも」と思う。だから、その呪文は遠くに数多く広がっていった。

その呪文に気付かなかったある人は呪文を知らず知らずに唱えた。またある人も唱えた。

その呪文は、あまり近付いてはいけない、という呪文だ。近付かないようにして、遠くからそっと覗く。壁越しに様子を見るようなささいな行動だ。

それが、何人も何人も、集団で見る事が出来るような場がある。

あなたは「根拠」という。他人に説明するには根拠はいる。第三者視点から、何が起こったかを説明しなければならない。

仮に、当人に「いじめられている理由をいいなさい」といえるだろうか。いや、いじめというわけではないが、しかしいくらでも同じ場は作成できる。

いえるのなら、いえるのだろう。わからないから説明しなさい、と。自分で、何が起こっているのかを考えない。

これも悪質なほのめかし、卑怯、というのならそうなのだろう。

他人なら、言うべき言葉は持たない。けれどもここはパブリックスペースだ。だから他人でも容易に、関係ない誰かの大切なものに手を出すことができる。そして手を出したことを怒られたら「なんだよ、たかがケーキごときで」とおもうこともできる。

訴えれば訴えるほど叫びとなるから、声がうるさいと思う人は、耳を塞いでうるさいからと蚊をつぶすように口を永久に閉ざしてしまうよ。

訴えるのではなく、傷はとりあえず癒すべきだ。

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