2007-05-10

無理やり考えてみた

http://anond.hatelabo.jp/20070510033719

この男性の父親は、私の父親の息子です

「父親」という言葉が共通していることに惑わされて、「父親」が同一の人物だと誤解してしまいがち。

本来「父親」は関係性だか属性だかを表す言葉なのに、あたかも特定の誰かを表していると勘違いしがちなのだ。

元記事の様に、それぞれAとBと置いてみると、その混同しやすさが極端になって多少分かりやすい。

すると、「この男性の父親は、私の父親」まで読んだ所で、じゃあこの絵に書かれてるのは自分、と早合点し、最後の「の息子です」を読み飛ばしてしまう。

元々「兄弟がいません」とか「でも」とか、絵の人物が私自身という答えを導き出す為に使いそうな情報・雰囲気が与えられてるので、そこで疑いを持たずに絵の人物は自分と結論付けてしまう。

或いは、「私の父親の息子」というのは私には兄弟がいないんだから結局私のことじゃないか複雑な言い方しやがって、とそこに頭を使い満足すると、何となく元の問題の答えまで結局私のことじゃないか、と思ってしまいそうになる。

記事への反応 -
  • http://rssblog.blog81.fc2.com/blog-entry-31.html 「多くの方の回答」というのがさっぱり理解できない。 肖像画の男をAとします。 そして父親をBとします。 まずこの時点でわからない。「父親」...

    • http://anond.hatelabo.jp/20070510033719 この男性の父親は、私の父親の息子です 「父親」という言葉が共通していることに惑わされて、「父親」が同一の人物だと誤解してしまいがち。 本来「父...

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