自分が「役回りが存在する」と気付いたのは、小学校の2年生くらいの時だった。
家庭内で、自分が何か意見をすると、必ず姉に否定され、抵抗しても空しく、
毎回のように同じパターンで自分が傷つくということを繰り返していた。
その時から、自分は役回りを変えていこうと思うようになった。
気付いてからは努力を行い、姉に反論されてもジッと耐え、結果、姉との関係も少しは改善されるようになった。
そのことを教訓に、その後も人間関係で、上手くいかないことがあれば、役回りを変えることを考えるようになった。
思春期に入り、友人はたくさんいるのに、何故か自分だけが言葉の暴力にさらされることがあった。
普段は楽しく遊んでいるのに、クラス内にいると気が大きくなることは理解不能だった。
どうやら彼らは、文句を誰かに言うことで自分を誇示していたらしい。その役回りが自分になってしまったわけだ。
その時は、ジッと耐えた。そのうちロクに口も聞かない人間になってしまったが、
クラスの女の子で優しくしてくれる子がいて、その子に救われた。
そんなこんなで、中学生になり、俺はその子と恋をした。といっても、お世辞にも可愛いとは言えない。
しかし、感情を抑圧していた自分にとっては、感受性と想像力が豊かな彼女に惹かれた。
当時の自分にとって、彼女は最高の女だった。時には、ケンカになり、怒ると急に論理的になる彼女は、
普段が感情的なだけに、全く意味不明のことばかり言っていたが、それまでの恩義を感じ、ジッと耐えることにした。
それ以上に彼女といることに幸せを感じていたからだ。
彼女とは、5年付き合った。が、後半の2年間は惰性と、情がうつって別れるに別れられなかっただけだったのだが。
・・・っていう俺の恋バナ
「役回り」ってなんだろう?って考えようと思ったら、話が反れてしまった