はてなのエントリーを読んでいると、素晴らしいまでに知性ある文章を書く人とそうでない人の差が激しいことが解る。
しかし、知性があっても捻くれている人間はどこまで行っても捻くれているようで、人間性を疑いたくなるエントリーも多い。
たとえば、感情に流されたり、相手の無知さを徹底的に叩くような非建設的な報復戦などである。
ここで勘違いしてほしくないのは、知性がある文章が書ければ何をしてもいいというわけではないということだ。
例えば、稚拙なエントリーを上から見下ろして小馬鹿にする、残酷なまでの一方的な吊し上げ、などのように、文章力と知性を武器としてしか使えない人間の多いことに辟易する。
(たぶん書いている本人は意識していないのだろうが)
知性がない稚拙な文章を書く人間より、表現力豊かな文章を書く人間のほうがネット上(活字上)では『注目』されやすいわけだが、
それは文章の表現に長けているだけであって、その人の人格や思想、理論が必ずしも優れているわけではない。
そして、文章を書くのに長けてない人間、文章が稚拙な人間の知性が必ずしも著しく欠けている訳ではない。
実際に対話して彼らの主張や意見を引き出すと、稚拙な文章力とは対照的な思考や論理を持っていることが解る場合も多い。
しかし、この対話の時点で明確な思考や理論が導き出されなければそれは本当に稚拙な人なのだろう。
確かに自分の発言を自分で正確に文章化できないというのは稚拙なのだが、彼らに主張がないわけではない。
ネット上での発言のみを観察し、そこで意見を正確に文章に出来ない人間は全て無知で知性がないと勘違いしていないだろうか?
それは活字の上に縛られた価値観であり、改める必要があるのではないだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20070317023526 まったくだ。 同じように、他人を蹂躙したおす様子を 「罵倒芸」などと言って持ち上げる傍観者たちの人間性にもあきれかえる。
http://anond.hatelabo.jp/20070317023526 >しかし、この対話の時点で明確な思考や理論が導き出されなければそれは本当に稚拙な人なのだろう。 >確かに自分の発言を自分で正確に文章化できな...
高2文。