2007-02-01

考えてやってもダメ

僕だけかもしれないが、じっくり考えてやることは大抵上手くいかない。

テキトーに思いついたことが結構上手くいったりする。

曲作ってても、じっくり構成を練って色々やった時は大抵完パケしないけど、ギター弾いてて思いついたフレーズパパッと録音してエフェクトかけてハイ完成ってやるといい評価がもらえたりする。

試験なんか受けてても、じっくり考えて導き出した答えよりもパッと思いつきで答えた問題の方が正解してたりする。

彼女喧嘩した時なんか、仲直りのためのシミュレートを綿密にして対話に臨むと大抵もっと溝が深まってアチャーな感じになる。

なんでだろうなぁっていつも思ってたんだが、これは自分が身の程をしらな過ぎるからなんじゃないかなぁと思った。

僕があれこれ考えて行動に移るときは大抵自分の能力を過大評価している時だからだ。

中学から大学にかけて自分の人生を振り返ってみると大きな失敗((調子に乗っていた分ダメージが大きいと感じているのかもしれない))をしている時は大体調子に乗っているときだ。

中学の頃は、家の事情で転入した先が学力的にかなり底辺な公立校で、そこそこ勉強のできた僕は((そこではトップクラスなわけで))妙な全能感というやつを感じていた。偉そうにしてたら何だか知らんが彼女も出来た。

しかし第一志望の高校に落ちた事でその全能感をボロボロに打ち砕かれた僕は高校の3年間を附属高校特有のgdgdな雰囲気漂う教室の隅っこでうじうじだらだらと過ごしていた。彼女にも振られた。良い思い出なんて何一つ無かった。ただマイブラスミスを聴いて漫画読んでエロゲーやって過ごしていた。

そんでもってエスカレーター式に大学に入ると同じような鬱屈を抱えた人間に多く出会って『ボクはここに居てもいいんだ!』という承認欲求が満たされまくるという状態になるとまた僕は調子に乗る。調子に乗りすぎたせいで何人かの人たちを大きく傷付けてしまった。

こうして思うのは、『身の程を知る』という事はとっても重要なんだなぁと思う。

じっくり考えて行動するのは確かに大切なことだ。

でも僕がシミュレート仕切れるほどこの世界は甘く無いって事なんだと思う。

「なにも考え無いでやることが上手くいく」わけでも、「じっくり考えてやることは上手くいかない」わけでもない。

何も考えないでやるってことは僕の素の能力を行使しているわけで、それが僕の実力という事なのだ。

頭の中でシミュレートされている『僕』は僕自身の能力を大きく飛び越えてしまっている事が多い。

僕の頭の中の『僕』を実際の僕に近づけていくことが必要なんだと思う。

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