http://anond.hatelabo.jp/20070121014820
これはわかる気がしました。
僕の場合は逆で、物がわかってなかった子どもの時に、「枷が欲しい」と考えた時期がありました。衝動というよりも、害意や憎しみがなくてもふとそのような行動をとってみようとする自分を発見した、という感じです。これは危険だという自覚を持ちました。他のみんなは、そんな行動をとってみたいなんて思いつかない、それどころかごく自然に嫌悪感を抱くらしい、と気がついたのが衝撃だったのです。
その自然な枷が欲しい。でも僕は持っていないらしい。どうすればいいだろう?
一生懸命考えて、とにかく「法律は守る」ということに決めました。
成長するにしたがって、いつのまにか、各々の場面でどう行動すべきか行動すべきでないか一生懸命考えて決めなくてもよくなりました。自然な枷は、勉強すれば少しは身に付くようです。病院に通ったり、犯罪を犯したり、しなくてすみました。今では、犯罪のニュースを見ながら「ひでぇことするなあ」と思わず顔をしかめる普通の大人です。
自分に外的な枷をはめたい人間が毎日暮らせる環境は、刑務所や病院以外にないのでしょうか?
学校や会社と違うのは、おはようからおやすみまで、生活全般をコントロールされながら暮らす場所、という点です。
そんな場所があったら、子どもの時の僕は、毎日そのことに気を取られないで安心して暮らせたのではないかと思うのです。
すこし前に大阪で起きた事件。ある男が「ストレスがたまり、むしゃくしゃした」と突然3歳の子供を歩道橋の上から放り投げた事件を見て思ったこと。 数年前の自分なら「ありえねー。...
http://anond.hatelabo.jp/20070121014820 これはわかる気がしました。 僕の場合は逆で、物がわかってなかった子どもの時に、「枷が欲しい」と考えた時期がありました。衝動というよりも、害意や憎