2017-07-14

https://anond.hatelabo.jp/20170714094812

秀秋が短命で、関ヶ原講談が作られた頃には小早川家がなかったからこそ、

寄ってたかって秀秋を悪者にして「西軍優勢だったのに秀秋の裏切りにより東軍が逆転」というストーリーが作られたわけで、

長命であれば後嗣もできて家が存続し、「秀吉虐待に耐えかねて権現さまに与した若きプリンス」的な扱いになったかもしれん。

記事への反応 -
  • 吉川空弁当広家(享年65)見るに無理だと思う 家名残しても前田利家の裏切りとか家康の焼味噌とか未だに言われてるし

    • 秀秋はそもそも性格が悪かったので、後に主人を殺した小姓などからの評判も最悪だったんだよ。 そりゃ殺されても文句言えないが、そういう人間が関ヶ原で裏切り行為を行った訳で、 ...

      • 秀秋が短命で、関ヶ原の講談が作られた頃には小早川家がなかったからこそ、 寄ってたかって秀秋を悪者にして「西軍優勢だったのに秀秋の裏切りにより東軍が逆転」というストーリー...

        • 現在の研究では、東軍と拮抗してたもののやや東軍が有利で西軍はただでさえ人望のない三成が指揮を執っていたので(総大将は毛利)、人が来ず 割と開戦前段階で負けるかもしれないと...

    • 「空弁当」って毛利秀元なのに吉川広家だと勘違いしがちだよね。

記事への反応(ブックマークコメント)

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