グローバリズム以降の世界では、人は「大人になること」を完全に放棄する者と、「大人になること」が生む抑圧性に無反省に再回帰する者とに二分されていく気がする。前者はリバタリアンとして、後者は国粋主義者としてイメージできる。
では、リベラルは「大人になること」に如何に向かい合うべきか?
Permalink | 記事への反応(2) | 20:13
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そりゃ自分たちのような理想の大人になることを望むだろう
リバタリアンが大人って感じで、国粋主義者が大人になることを放棄している、っていう考えもありそう。 特にリバタリアン精神を撮り続けるイーストウッドの映画見てるとそう思う。