2009-10-22

冤罪事件について思う

裁判という制度について雑文・・・。最近冤罪がらみで騒がしいので、思うところを書いてみたいと思う。

まず大前提として100%間違いないということを証明できるシステムは、存在しないということがある。これは、今は無いと言うことではなく、これから先についてもずっと有りえないという事です。裁判でも科学でもなんでも同じだけど、より確からしい事はなんであるか?ということを突き詰めていくだけです。技術進歩によって精度は向上していくけれども、どこまで行っても100%にはならない。絶対にエラーは、発生する。

で、冤罪事件が起こるたびに、

 こんな事は繰り返されてはならない!

としたり顔でマスコミは、言うわけだ。でも、それは現実がわかっていない。どこまで行っても、どれだけ技術が発展したとしても、やはり一定の割合(少なくはなっていくだろうけど)で絶対に冤罪は、発生してしまう。だとするならば我々は、冤罪を受け入れなければならない。

 100%確かな場合にしか罰を与えない

と言うのはもっともらしいが、これは100%が保証できない以上は、机上の空論でしかない。結局のところ100%で無ければ裁かないというのは、突き詰めると

 罪を犯しても罰を与えない

という結論しか導き得ない。

冤罪は必ず起こるので、起こったときにどうすべきか?冤罪を極力少なく為のシステムをどのように構築していくのか?といった点について議論すべき。くだらない犯人探しや判決を下した裁判官に詰め寄ってみたところで、無駄なことなんだと思う。

  • ・取調室にカメラを置く ・被告弁護人に警察が収拾した全証拠を開示する ・証言は誤っていると推定 これだけで日本の冤罪はほとんど防げるんじゃね

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