個人的な感覚で客観的根拠はないが彼らはそこまで深く考えてやってないと思う。単に世間の多様性に無自覚なだけだろう。
それも「日本国」なんてゆー最大公約数的な、日本語圏インターネットの利用者ならだいたいが当てはまる要素でくくって安定しようとしているわけで、それは自分が所属する集団が安定した大きなものであってほしいという幻想の行き着く先でしょう?
むしろ日本語ネットの利用者ならたいてい当てはまるから盛り上がるってるんじゃないかと。他の属性だと当てはまる人がもっと少ないので盛り上がりも小さい。結果として日本国というくくりの話題ばかりが目に付くようになる。ネットは能動的なメディアだから会社とか学校とか他の集団の話題で盛り上がってるのを見る場合は見てる側もたいてい関係者なので感覚を共有できて幻想に見えないが、日本人というくくりだとそうは行かないので幻想に見えやすいって事かと。
「実際は助けてくれるかどうかわからないけれども最後には国にすがるしかない」、みたいな切迫した気持ちが変質して国への自己同一化を促してるんじゃないかな。ストックホルム症...
別に国と同一化してる人が切迫してるようには見えないんだが。 おそらく自分こそが普通の日本人と思い込んでて世間=自分みたいな感覚なんだろう。
そうかな? 賛成できない。 世間=自分と位置づけてそれを表明するってことは「自分を集団の一部として再規定し続けて安定しようとしている」わけで。裏返せばものすごく不安定で...
世間=自分と位置づけてそれを表明するってことは「自分を集団の一部として再規定し続けて安定しようとしている」わけで。 個人的な感覚で客観的根拠はないが彼らはそこまで深く...
本人たちが自分の機制、行動に自覚的かどうかは俺の論旨には関係ない。的外れじゃないかな。 むしろ日本語ネットの利用者ならたいてい当てはまるから盛り上がるってるんじゃないか...
本人たちが自分の機制、行動に自覚的かどうかは俺の論旨には関係ない。的外れじゃないかな。 「自分を集団の一部として再規定し続けて安定しようとしている」と書いてるから自覚...
あーそうか。俺の書き方が悪かったな。そんな意図はない。というか、防衛機制って自覚的にやることじゃないしね。 はじめから「俺にはこう見える」「いいや俺には見えない」っつー...
ああ、そういう意味で関係者って言葉を使ってるのか。その場合の「関係者が盛り上がってる状態」って今回の話と全然関係なくない? 何で関係なくなるのかわからん。関係者でもな...
ええー? それはだって「関係者以外が」盛り上がってる状態なわけでしょ? それに対する「関係者が」盛り上がってる状態を配置する意味がわかんねー
比較のために逆の事例を出すのはよくあることと思うが。