鋭いところ突いてきたな。
正確な所、サンフランシスコ講和条約で返還するといったのはクリルであって千島じゃない。で「で、クリルとは何か」という問に対して国会で
「南千島と北千島を含むと考える」
とする答弁が行われたことがある。51年答弁。これが、その後日本の最大のウィークポイントとして何度もソ連からあぶられた。ただし、重要なことがある。これは国内の答弁であって、日本国の公式外交声明ではない。国内にある認識の人がいるからとて、日本全体が同じ認識であるということではない。
そういうわけで、国後・択捉は南千島だが、日本国はそれをクリルとして返還した覚えはないって主張している。
http://anond.hatelabo.jp/20081103140451 要するに、千島列島とは千島樺太交換条約で入手したものであり、それには国後・択捉は含まれない。なぜなら、後者は以前から日本であった、という主張...
またまた横増田だけど。 日露和親条約・千島樺太交換条約あたりからの経緯を考えると、南千島は千島に含むというのは長年の大前提で、「実は北方領土は千島じゃなかったんだよ!!」と...
じゃあ何で日ソ共同宣言でも当時の国会答弁でも国後択捉の問題を日本政府はスルーしたんだよって普通は思うはず。 そもそもスルーしていない。スルーしなかったからこそ共同宣言...