ウィンドウショッピングは好きだ。
そこに並ぶきらびやかなバッグやマフラーは私の知らない設計がなされ、私の知らない技術で作られる。
私を飾るに相応しい物を選ぶのは一苦労だ。
だが、例えハズレを引いたとしても物は手に入る。
少なくとも、手に入れた後でもそれが自分に合うか合わないかをじっくりと吟味できる。
そうしているうちに、なんとなく私が形作られていく。
ある日、綺麗な布を手に入れたのでドレスを作ってみようと思った。
でも、デザインなんてできなかった。
結局、無地のスカートが一着できあがり、クローゼットのこやしになった。
私は再びウィンドウショッピングに出かける。
あの帽子、あのマフラー、あのバッグ。
それらで着飾った自分を考えるだけで興奮する。
私に創作性はあるのだろうか。
その創作性は高度だろうか。
そりゃ普通の人間には創作なんてできないからこそ服屋の服には高い値段がついてるんだと思うが? 当たり前だと思うんだけど何が不満なのかわからない。
DJの沖野修也氏はその著作「DJ選曲術」の中で、 DJが行う「選曲」という行為には創作性が存在する、というニュアンスのことを言ってるね。 つまり同様に服飾コーディネートにもある種...
創作性の有無は分からんが 増田の作ったタンスのこやしが 世界にたった一つしかない 創作物であることは間違いない