載ってるか載ってないかは無意味な論争になるな。俺だって記憶は定かじゃないし、君も20年前の教科書の内容を正確にフォローしてるわけじゃないだろう。
ダメな例を書けとありますが、国語はどんな文体でも個性になりうるわけで、
これがダメなんです、と教えると表現の幅を狭める可能性があるので難しいのでは?
こういうこと言いだすから国語教師(なんだろ?違う?)はだめなんだと思うわけですよ。
自由な表現なんつーものは、基本的な法則性に則ったロジカルな表現の上にあるべきだ。
なぜだ?おかげで俺はだいぶ年を取るまで国語が全くできなかった。
あのー、句読点の打つところの見本が、教科書に書いてあると思うのですが…。 音読とかさせられませんでした?
俺のときの教科書にはおそらくなかった。 それに、さっきも言ったように、特徴ベクトル(法則性)を決める前に少数の学習データ(実例)を与えられても学習しようがなかった。
いえ、絶対に載っています。 国語の教科書読んでないのでしょうか…?
載ってるか載ってないかは無意味な論争になるな。俺だって記憶は定かじゃないし、君も20年前の教科書の内容を正確にフォローしてるわけじゃないだろう。 ダメな例を書けとあります...
こんな11人しかいないところに、そうそう都合よく国語の教師なんているわけないよw
横だけど、普通の人は教科書を読んでいるうちに基本を覚えているわけで、 それを増田みたいな例外について語ってもねえ。
横だけど、すごく典型的なソッチの見方だなぁ。 国語の曖昧さが論理によってすべて片付けられるのもねー・・ まったく論理的でないな、自分の文章・・
だから、曖昧さは基本的な論理を身につけたあとでやってくれと
で、結局君は「文中で"、"をどこに打つべきかの法則性」が分かったの?