2008-06-07

森博嗣が終わる4

結局エッセー日記を好むようになって作品は後回しに。作者の自信作、よりはもう少し切れ味の鈍いわかりやすいほうを好んだと思うし、さらにはエッセーのような構成されたものよりもそのまま出てきた日記の文章が良かった。

ネットで話題になることもあまりなかったように思う。新本格自体がそうであったとも言えるし、ネットの発達がはっきりとした頃はもう西尾維新が出ていたからその流れもあったかも知れない。ところで流水と維新はべたべたとくっつくな!お前らは森さんを理解できてないじゃないか!!と怒っていたこともあったけど、今は怒りや嫉妬の気持ちはなく、ただ受け取り方が違うのだなと思う。違う人間だから当たり前といえば当たり前で。本当に当然のことを言ってしまうのもつらつら事だから然りとかなんとか。

最も面白かったのはその思考で、現状を把握することの冷静な態度とその記述に私情の入らぬこと。どうもうまく言葉にはならないが、私はあの分厚い日記を読んだとき、いっぺんでそれがわかった。吾妻ひでおさんは玉子様をエコロジーと言っていたが、限りがあり、それを理解し、望む将来を自分で考え、その結果を実現しようとするきわめて現実的な姿勢を言い表してないと思うし、私の感じ方に近い人を探すのもなかなか大変だったことを覚えています。

とにもかくにもいっぺんでわかったということとそれからのつながり、数年間は私の研究とうまく接合できなかったがそれはそれとして現実不具合はさておいて、森を読むことは稀有な体験だったと思う。あれがなければ今の私はない。ありえない。おそらくまだ辛い精神を抱えて右や左へ行っていたのだろうと思う。

あんまり自分語りの多く、それでも尽きないことは驚きであります。

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