「そんなにため込む前に、私にひとこと相談してくれればよかったのに!」
僕は人間関係のもやもやだとか浮き世のつらさを自分の中にため込んでしまう癖がある。
相談という名目で友人に愚痴を吐けば楽になることは知っている。
だが、どうしても友人に愚痴を吐くことが出来ないのだ。
そうしてため込んだあげくに友人に自分の苦境を告げると、必ず表題の一言が返ってくる。
確かにため込む前に相談すればよかったのは事実だ。
しかしながら、僕が本当に辛いときは彼らも辛いときだったりする。
彼らに迷惑を掛けるより、自分が我慢すればいい、そう思ってしまう。
それでも意を決して僕が「話がある」と言っても、「忙しいから今度にしてくれ」と彼らは言う。
こんな風に、忙しそうにして人を寄せ付けない雰囲気を作っておきながら、
後出しで「友人の相談にはいつでも乗る、友人思いの人格者」然とした発言をする。
そんな友人をどうして信用できようか。
こうして僕は相談という行為が非常に苦手になってしまった。
僕自身が相談を受けることもたまにあるが、そのときは表題のような言葉は使わない。
この言葉がどれだけ相談者を悩ませるかを知っているからだ。
「気づかなくてごめん」とだけ言う。
でも、僕にこういってくれる畏友はまだ見つからない。
だからさ、ためこむんだったら一生吐き出さないで欲しいって事なんだよ、それは。
どんな内容か知らないけど、話があるなんて言われたらよっぽど近しい人じゃないと構えちゃうって。 簡単な疑問にまとめてから軽く聞くか、具体名とか伏せて増田に書いたらどうよ
相談は、重いものほど遠慮がちになるな。相手も抱えてるものが多いし、こっちもちょっとやそっとじゃ解決しないものだから長時間になるのわかってるし。 でも表題みたいなことを言...