ふと思った。
「○○なんてまだ信じてるの?」という表現がフックになっているのなら、「南京大虐殺がなかったなんてまだ信じてるの?」というキャッチで返すのが案外この手の真のメディアリテラシーのない層(でも本人達はあると思っている層)には効くんじゃないだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20080108182807
知り合いに「南京事件があったなんてまだ信じてるの?中共のプロパガンダに踊らされるのはバカだよ。ちゃんとしたメディアリテラシーを持たなきゃだめだよ」と豪語する30代男性(一流理系大卒の公務員)がいるのだけれど、「南京事件がなかったと考える根拠は?」とたずねてみたら、東中野修道氏の本すら読んだわけでもなく、もっと言えば小林よしのり本すら読んだわけでもなく(彼には本を読む習慣がないため)、「ネットで、南京事件があったなんてまだ信じてるの?っていうコメントをいろんなところで見かけたから」というのがその理由だった。
どうやら「○○なんてまだ信じてるの?」という表現がフックになってるようで、一般に流布している説に疑いを持つ=メディアリテラシーだと思ってるみたいだ。
どんな言説に対しても等しく「まず疑ってかかれ」という姿勢自体は正しいと思うんだけど、そこから先を判断するやり方ってのは、考えてみればあまり語られることはないような気がする。
トンデモな言説も数にあたれば、なんとなく傾向のようなものが見えてきて「これ怪しい」っていう嗅覚のようなものが働くようになると思うんだけど(そしてある意味彼はサヨク的なものに対する嗅覚はあってサヨク的な文脈で南京大虐殺の存在が肯定されてるからそれはプロパガンダだと認識しているのではないかと思う)、よく考えたら普通の人はトンデモな言説の数にあたるっていう体験があまりないんじゃないかという気がしてきた。
トンデモな言説ってことオカルト系にあふれているけど、好事家じゃないとそういう文献をわざわざ読まないだろう。
だから、そういうのに晒されてこなかった人たちがネットで初めて目にすることによってうっかり引っかかっちゃうんじゃないかなーとか。
言説の妥当性について判断するポイントとかうまくまとめたものってないのかな。
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http://anond.hatelabo.jp/20080108182807 あるものを疑ってかかるというのはそんなややこしいことではなくて、 「I believe Q」 と記述された信念を持つことは避け、つねに 「I believe P→Q」 という...
>それだったらそのPっていう仮定が成り立たないとか→っていう論証が間違っているとかの反証のしようもあるわけで そうね。 自分の場合はそれを言ってとても不自然に思われたらし...
「世界がもし100人の村だったら〜」は恒真