2007-12-27

青い鳥は本当はどこにいたのか

メーテルリンクの「青い鳥」は、その結末がよく知られている。

チルチルとミチルは青い鳥を探して色んな国を旅するが、結局見つけられずに家に帰ってくる。すると、昔から飼っていたキジバト青い鳥へと姿を変える。

この結末について、「幸せは案外身近にある」と解釈する人が多い。それが一般的と言ってもいいかもしれない。

しかし、実はこの解釈は間違っている。いや、物語の解釈なんて読み手の自由だから正確には間違っているわけではないのだが、少なくともメーテルリンク意図とは異なる解釈である。

では、メーテルリンクはこの結末にどん意味を込めたのか。

実は、チルチルとミチルが旅に出る前、飼っていたキジバトはただのキジバトでしかなくて、決して青い鳥ではなかった。チルチルとミチルが「青い鳥であることに気付かなかった」のではなくて、本当に青い鳥ではないただのキジバトだった。つまり、「キジバト青い鳥だった」のではなくて、「キジバト青い鳥になった」が正しいのだ。

では何故キジバト青い鳥に「変わった」のか。そこにこそメーテルリンクメッセージがある。

メーテルリンクによれば、「幸せ」はただ待っていても手に入らないものである。それを求め、努力することで初めて手に入る。

チルチルとミチルは、青い鳥を探して旅に出た。そして色々な国を巡り、色々なものを見、聞き、知った。幸せを求めて苦難の道を歩んだ。そうした旅を終えることで、初めてチルチルとミチルは青い鳥を見つけられるようになったのだ。

たとえば、チルチルとミチルが旅に出ず、キジバトを丹念に調べたとして、それが青い鳥になることは無い。キジバトは、チルチルとミチルが旅をしたことで青い鳥へと「変わった」のだ。

青い鳥は、旅が終わるまでどこにもいなかったのである。

幸せ」は決して「気付かないだけで身近にある」のではない。身近だろうが遠くだろうが、「旅をしなければ手に入らない」ものなのだ。

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