2007-12-06

理由はないけれど嫌いなこと


極論をいえば、人が生きていること、人類存在していることに、客観的理由はない。

楽しいとか苦しいとか生きているとか、それらはすべて主観的な意味にすぎない。客観的な理由などない。

ただ、死は恐い。おそらく本能として組み込まれているだろう、死への恐怖。

自分の死だけでなく、周りで起こる死にも恐怖を感じ嫌悪する。

客観的理由があるわけではない。

楽しいとか苦しいとか辛いとかと同じく、死への恐怖や嫌悪は主観的に感じる感情でしかないがお願いする。

死なないでくれ。死ぬのも死なれるのも嫌いなのだ。感情的にお願いする。

というわけで、http://anond.hatelabo.jp/20071206110711 とか http://anond.hatelabo.jp/20071206112214 とか http://anond.hatelabo.jp/20071206131438 とかになんだか納得するのだ。

記事への反応 -
  • 自殺はきわめて論理的に行われるが 自殺そのものは非論理のきわみだ

    • 死 極論をいえば、人が生きていること、人類が存在していることに、客観的理由はない。 楽しいとか苦しいとか生きているとか、それらはすべて主観的な意味にすぎない。客観的な理...

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