2007-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20070428160646

国語の授業だけが日本語勉強の場ではないわけで、机に座って先生の話を聞くだけが義務教育のすべてではないわけで。

まず、集団生活自体がコミュニケーションスキルを習得するための場であって、でもそこでグルーミングとしてのコミュニケーションしか習得できなかった人は、その狭いコミュニティを越えてコミュニケートすることが困難になってしまう。

自分の言葉が他人に通じるか? この恐怖を知らないと、汎用的なコミュニケーションスキルに自覚的にはなれないかもしれない。

自分の言葉を他人に届かせ、他人を以下に理解するか。その一つの手段として日本語の使い方を知らないと、人生の3分の1は損をしているね。

記事への反応 -
  • 教えて!gooとか見ると、ちゃんと読める文章を書けるのってすごいことなんだなと思う。

    • 日本では一応、そういう技能を普通に習得できる義務教育を施しているはずなんですけどねぇ。

      • 施された覚えはないなぁ。 国語の授業って「形容詞と形容動詞の見分け方」は教えてくれるけど「形容詞と形容動詞をどのように使うか」は教えてくれないんだよね。

        • 国語の授業だけが日本語の勉強の場ではないわけで、机に座って先生の話を聞くだけが義務教育のすべてではないわけで。 まず、集団生活自体がコミュニケーション・スキルを習得する...

          • そういった授業外でのコミュニケーションは、話し言葉の習得には有効だが、書き言葉を習得することには繋がらないだろ。

        • そういうのを教わるのは国語の授業に限ったことではないわけで。

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