2ちゃんねるのニュース板(をダイジェストしたサイト)などで、最近よく目にする。
一見不可解な事件や主張に対して、それに対抗する意見を述べる際に、黒目で禿頭の人物(?)のAAと共に用いられることが多い。
最初の頃は特に違和感を持たなかったのだが、自分の意見と反対の意見をこの形式で言われてから、引っかかるようになった。
どちらかに強く違和感を覚えないだろうか。
なぜ、こんなに違和感があるのだろうかと考えてみると、発話者がこれを一種の終結宣言と捉えている所にポイントがあるのかもしれない。
AとBと2つの主張があり、それぞれの主張をする者をA派、B派と呼ぼう。A派が「Aだろ、常識的に考えて・・・」と言ったとき、A派は「Aに決まっているんだからこれ以上の議論はムダだ」という趣旨でこれを使っているんだと思う。
しかし、B派にとっては様相は異なる。この言葉が出た瞬間、対立するのは A と B ではなく Aの常識 と B に変化するのだ。相手が「常識的に考えてA」と言えば、B派は、A派の常識を打ち崩さなくてはならないのだ。「Bである⇒Aの常識が間違っている」なのだから。この瞬間、論戦はA派の常識が培われてきた素地、すなわちA派のこれまでの人生をも問う物に拡大し、変化しているはずなのだ。
しかし、A派はこれで終わったとばかりに安穏としている。自分の人生が掛け金としてテーブルに挙がっているというのに。
そういう温度差というか不条理というか、そんな物が感じられるのが、嫌いな理由なのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20070116132719 ↑なんか使用例が違うような気がする。 リンクフリー派は無断リンクが常識だと思っているし、無断リンク禁止派はリンクが無断リンク禁止が常識だと思って