はてなキーワード: 乗客に日本人はいませんでしたとは
がなければどうなるかを考えてみてください。
たとえばあなたの家族がその国に旅行していてちょうど事故のあった飛行機や電車に乗っていたかもしれない。
ならばと旅行会社なり外務省なりに問い合わせるかもしれません。
旅行代理店は100人のお客さんがその国に旅行してたら一人ひとりについて外務省に問い合わせて安否確認するでしょう。
関係者は夜寝られないでしょう。心配でストレスもたまります。他の予定も全部キャンセルする必要が出てくるかもしれません。
このたった一言で、このような無用な混乱、心配、不安を与えることなく関係者数百人が安心できるのです。
それを信用していいの?との不安はもっともですが、現地日本大使館なり当該国の関連機関なりが責務として提供している情報ですので、まずは一次情報として信用するに足るものであると言っていいかと思います。
少なくとも「本人の連絡がない限り100%の安心はないのだからこんな報道は価値ゼロだ」というのは暴論というものです。
無関係の人にはさして意味のない情報とも思えるがゆえに、イエモンのJAMの歌詞のように、日本人とそれ以外とで命の価値に軽重をつけるのか?けしからん!という批判もときになされるようですが、そういう意図での「乗客に日本人はいませんでした」ではないことを知っておいてください。
なお余談ですが「ニュースキャスターが嬉しそうに」言っているのを私は見たことがありません。
海外で飛行機が落ちるたびに、ブログで「乗客に日本人はいませんでした批判」を繰り広げる輩が後を絶たないけど、あれってどうなの?
言ってること自体は、そこそこ正論だ。国籍によって命の重さは変わらないし、死んだのが外国人だからといって何ら喜ばしいことではない。
だけどその批判って、イエモンの歌そのまんまなわけじゃん。誰が見ても「ああイエモンね」って分かることを、まるで自分が思いついたかのように偉そうに語るのってかっこわるいよね。
それにさ、テレビ局だって別に国籍によって命の重さが変わると思ってるわけじゃなくて、単に放送してる場所が日本で、日本人の安否の問いあわせが多いから、それに対応してるだけなわけじゃん。そういう事情も全部すっ飛ばしていきなり正論を言われたって、相手にするやついないよ。
って感じなんですかね。疑似科学批判批判ってやつも。
死にたくないなああ最近。そして恐ろしいところは!死にたくないと思いつつ自分が死ぬとは全く思っていないところです!!あれだよねーなんか色々言うけれど、なんかそれ死なない前提で言ってないかお前みたいなときあるよ。いや死ぬよ!どうすんの! ただ、なんだかんだ言っても、みんなは死ぬけど俺は実は死なないんじゃないか説が今のところかなり有力らしい。俺の中では……。考えると発狂しそうなんだよねえー全く発狂はしないんだけど、発狂しそうと書くことによってしか表すことの出来ない感情ってあるじゃん?
それはそうと、ウタダヒカルの曲に「誰かの願いが叶うころ」って曲があるでしょ。俺はあの歌詞の論理がすごい好きダ!!!!!!!!!私の願いが叶うころ、誰かが泣いているけど、自分の幸せ願うことはワカガマじゃないでしょってさ。そりゃそうだよ!!!!!この、かといって開き直っているわけではなくて、っていうこの感じは真理だよ。
要はイエモンの「ニュースキャスターはうれしそうに乗客に日本人はいませんでした」も同じ論理なわけだよ。糾弾してるとかそういうわけじゃなくて、そういう事実があったときどう思えばいいだろうっていうね。もうよくわかんねえからそんな夜は君に会いたいっすっていう単純かつ素敵なラブソングなけわけじゃん?それを捕まえて偽善だとか勘違い甚だしい時代遅れの解釈を晒しているバカはしんでくれ!!!!
以上です。さようなら