そうだとして、それは何の反論にもなってない。
ふつーはそんなことすら知らない、興味がないから
所謂「愛」の反対は「無関心」 共産党が気になって仕方ない人がいるっぽい まともな人は関心を示さないけど
どうでもいいけどこれって実際のところ愛の反対は憎で 愛憎の反対は無関心というのが正確な気がする
この手のレトリック(?)を見るたびに思うんだけど、無関心の反対って単純に「関心」じゃない?
人間は純粋に関心だけを持つことはできなくて、関心を持つ時は必ず、愛=好か、憎=嫌 の感情を伴ってしまうということじゃない?
そうだとして、それは何の反論にもなってない。
ポジティブなのを愛と呼んでネガティブなものを憎と呼んでるだけやんね(横)
「関心」が愛憎で構成されてると見れば違和感ないで
それ出てくる場所通常離婚だとか別れるだとかの文脈なので もう愛してないとか別れるって言ってるのにグダグダ言ってるやつに対して「もう冷めてるなら無関心のはずやろ。グダグダ...
確かに。 というかその手のバズフレーズ、冷静に読んだら基本的に理屈が変だよね
論理的に考えると、中間状態が無関心になると見ればそうやな。 愛 無関心 憎 の軸じゃないと違和感ある。
いや、愛の反対は憎ではないよ バナナはオレンジの反対ではないだろう
愛の反転は憎で関心(愛憎)の反転は無関心 愛の反対も憎の反対も関心の反対も無関心