昼に九段理江の話書いたんで頭の片隅に記事の文章いくつか残っててちょっと暇な時に考えてた
引用した文について…他人不愉快にしてでもって言うのは、ご時世として心配も嫌われる可能性もあれどそれでも今年も新作を出す『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』みたいな作品で言うべきで、『東京都同情塔』は新潮社の公式で出したアオリの書き出しが「ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本」( https://www.shinchosha.co.jp/book/355511/ )と現実に対しての反権力の当て擦りを隠す気がないのは他人を「不愉快」にするとか以前に物語を動かす動機として浅いんだよな
純文学は不愉快なことを書いてでも新しい物を作る言語芸術です
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/articles/20240214-OYT8T50094/