ネットのいざこざや、大規模な放火事件などを見るにつけ、自分の思い通りに生きられないことの苦しみはいよいよもって高まってきていると言える。 一方で、技術的進歩により人々は...
ヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』(1927)にそのことは書いてあるのに
セルクマアゲだな
https://anond.hatelabo.jp/20220125192916 人々が仮想空間に求める「自由」とはきっと、身体の自由じゃなく思想の自由なのだ 昔にもあったよ。 2chっていうんだけどさ。「どうも違うな」と思う...
仮想空間っていうのは、現実世界を再現するものなんだから、現実世界で起きることはたいてい起きる。 起きなかったらそれは仮想化に失敗している。 なんか勘違いしているよね...
勘違いというより、失敗の歴史を述べたまで。 仮想化→身体からの分離→民主化、非中央集権だからよいといったタイプの理想主義はことごとく失敗してきたという話を列挙したまでで...
ああすまんすまん。 君が勘違いしていると言ったわけじゃなかったんだ。 主語ちゃんとつけないとだめだよね。
了解。あわせて、こうやって応答のある世界がまだ残っていること自体にも感謝。
すべてが自分に都合がいい世界だな
「なろう世界」とか「なろう空間」とか
tobalno1 大体の人間の思想の中には「自分の意見を他者に納得、賛同させたい」があるからまあ無理だよね。その思想がない人はそもそも自分の思想をネットじゃ無くてチラシの裏に書い...
ニートは休日は出かけるらしいね
人々が仮想空間の中に求めるのは、果てしのないオナニーだよ。
それってようするにポストトゥルースだろ。 自分たちの都合の良い思想で寄り集まって、他の"真実"と接触しないことで共存していく。
World Wide Webが一般 (研究者、技術者以外) に広まってきたときに、「Webは身分や立場、年齢の関係ない自由な言論空間!」とか、考え事と議論が好きな人たちが騒いでたなぁ。
仮想に自由があったとして、自由を求めて仮想世界に乗り出した自我があったとして 自分と他人の境界線はあるのでしょうか? 自由なのに、不自由を感じる結果になりませんか?
積極的自由と消極的自由
思想だけじゃなく「自己実現」とまでしぼりこめればよかったね。
めちゃくちゃえっちな体験を期待してるにきまってるさ! つまりフェミ的思想はNG
ヒッピーやニューエイジ崩れの戯言と同じだな