老後2000万円問題を悩める人はまだ幸せなのではないかと思う。
自分はといえば30歳独り暮らし、80万円ほどの借金がある。
仕事はバイトと業務委託の掛け持ちで、なんとか食いつないでいる。
「リボは返せない」「借りるやつはバカだ」なんて声もあるけれど、人生詰みかけるときになんとか猶予を与えてくれるのが借金だ。
家族が普通にいる人にはわからないかもしれないが、頼れる人間がいない場合、または家族は「存在している」けれど頼れない場合もある。
自分でなんとかしなければいけないけれど、どうにもできないときっていうのもある。
そんなときに借金ができるとものすごく助かるのだ。
しかし、当たり前だが借金があると貯金ができない。
貯金ができないと、収入が途絶えたら終了だ。
仕事だけじゃない、健康面だってそう。病気しても病院へはいこうとしなくなる。通う金がないのだ。
千円ちょっととはいえ、毎週かかってくると結構な負担になる。大きな病気になったらどうなってしまうのか。
「仕事はそうそうなくならない」と考えていた人も多いだろう。そんなの努力次第だと。
でもこのコロナ禍のおかげでその考えを改めた人も少なくないのではないか。
次は自分の番かもしれないと思えば、お互いに助け合うのが良いとよくわかる。
さて、我が国の首相は「最終的には生活保護がある」と発言して物議を醸しているが、これはとても政治を行うものの発言とは思えない。
自分は下層にいるが、それなりにいい暮らしをしている。無理なところをなんとかしてきたからだ。
雀の涙のような弁済金を払って借金を先送りにし、高い家賃と税金に収入のほとんどを奪われる。
それだから明日はわからない。仕事がなくなってしまえば同じ生活はできなくなる。
そこで先の首相の発言に戻るが、なぜ生活水準を保つための先手を打たないのだろうか。
生活保護があるとはいっても、生活保護をもらう暮らしでは元と同じようには生きられない。
食べる物、着るもの、付き合う相手、仕事も何もかもが変わる可能性がある。
現在受給している方たちにはもちろんそれぞれ理由があるだろう。生活保護がなくなったら文字通り何もできない人だっているだろう。
なぜに普通に働けるからだを持ち、社会にも適応できる人間たちに「最終的には生活保護がある」などと言えるのか。
みんな今の暮らしを続けたいのだ。それぞれに今の暮らしが最低のラインで、さらに豊かになれたらいいと思っているのだ。
最低限のお金しかないというのは、本当に最悪だ。なぜならばお金がないというだけで思考力が著しく低下するからだ。
楽になりたい、なぜこんなに働かなければいけないのか、という考えで頭のなかがいっぱいになって、まったく成長できなくなる。
何を食べるにも買うにもお金が必要なのに、お金がないとくればつまりそれは何もできない無能であるのと同じ実感を与えるのだ。
なぜこんなことを書いているのかといえば、まさに今お金の不安を感じているからだ。
毎日とても疲れている。なぜこんなに疲れているのだろう。あぁこわい。こわいなぁ。生きていることがこわいよ、まったく。
自己破産でもすれば