2番目は1番目と情報量変わっていないけどね……。
一番目は「どっちとも取れられてしまうリスク」があるんだが そういう事を考えられる知性は大切だぞ
2番目もどっちとも取れるよ 母は、笑いながら学校に行く娘を見送った この切り方だと「笑いながら」は動詞「見送った」もしくは「行く」にかかっていて、「笑いながら見送った」...
うんうん、句読点が増えていくな 知性があればそうなるって事よね
いや、普通は2番目みたいには書かないよ 笑いながら学校へ行く娘を、母は見送った と語順を変えるのが知性が高い人です
なるほど、ちせいの高さに、句読点は関係ない説ですな
表現の幅の広さは知性の高さに反比例するということですね
せやで、知性が低ければてにをはや接続詞でさえ自由に変えることが可能になる たとえば「知性を引くかったからてにをはは接続詞だから自由ではなく変えることを可能へなる」と圧倒...
知性が高くたってそれはできるだろ 君は低能なのか?
幼児の言動の大人からみての面白おかしさ的なことをいっているのでは? 突飛さやオリジナルな発想って、積み上げた知性では真に発揮させるのは困難だぞ
統失のワードサラダを健常者が真似しても全然うまくできねえからなあ
絵画とかも怖綺麗だったりするよね
実際の文章では母か娘のどちらかが笑うきっかけになる出来事が記述されているはずなので、句点を入れるかどうかは知性ではなく文体の問題であることが多いですね。
「笑いながら学校」に娘が行くことを示すには読点ではなく括弧を使うしかない
そうはならんやろ