2018-06-25

無敵の人という言葉が独り歩きを始めた

誰かが厳密に定義したわけではないので解釈にブレはあるけども、それでも「無敵の人」を指す現象をみんな知っていたはずだ。

本当に追い詰められた人間には普通の人間に効くブレーキが効かなくなる。

「窮鼠猫を噛む」はどんな鼠も生存のための方略がすべてとれなくなったら猫さえ噛むということだ。

でも、無敵の人という言葉を使っている人の中には、まるで猫を好き好んで噛むことを望む鼠が増えてきているかのように使っている。そうじゃないだろ。俺たちだって本当に追い詰められれば何をやるかなんてわからないだろう。これは全く思考形態の違う生物が起こしたのではなく同じ人間が起こしてしまった事件だ。

今回の件は発言の場所がなくなるということへの恐れがトリガーの1つだったと思う。これは唯一の世界だったネット上のコテハンを奪われた秋葉原事件の加藤もそうだ。酒鬼薔薇だって透明な存在にされた上で実在性を取り戻すために人を殺した。先日の新幹線の件も、実の両親から追われ、引き取られた先でさえ彼にとっては居てもいい場所ではなくなってしまっていた。

でもそれは行動が表出したきっかけに過ぎない。本当になんとかしなきゃいけないのは彼らが排除されて、追い詰められてしまったことだ。どのように包摂していかなければならないのかという難しい問題に直面しているのに、無敵の人という言葉を断絶の道具として使うのはやめてほしい。

  • 病気や障害を抱えて苦しんでいる人に ネット「弁慶」だの「無敵」の人だの褒め殺しをしてきたのが既婚で正社員の勝ち組ようは「普通の日本人」の人たちだ

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