2018-03-11

多様性」を謳う経営者の方へ



転職活動をしていると「多様性」という言葉を度々目にします。

もしくは「様々なバックグラウンド」などでもいいでしょうか。とにかくそういう意図のそういう言葉を目にします。

便宜的に「多様性」という言葉でのみ表現し言及しますが、この言葉、非常に危険を孕んでいるので、志高い経営者の皆様にお伝えできればいいなと思いました。

私は大学で生物系の勉強をしていたので、「”生物”多様性」という言葉を四年間使い果たしてきたわけですが、

「生物多様性」というのは『色々な生き物が一緒に生きていく』という単純な意味ではなく、『それぞれが生きる環境をお互い脅かすことなく、その生をあるべき姿で全うできること』というニュアンスが近いのかな、と考えました(私は研究者ではないので、個人の意見です)。

「そんなのわかってますよ、当たり前じゃないですか」と思う志高い経営者の方々、よく考えてみてください。なぜこんなに地球規模で「生物多様性」が叫ばれているのか、それが未だに解決していないのか。

原因は様々ですが、『それぞれが生きる環境をお互い脅かすことなく、その生をあるべき姿で全うできること』が、非常に難しいことだからです。

「多様性」は、”淘汰の歴史”です。

地球誕生から、生物は誕生と絶滅を繰り返してきました。適応できない環境に滅び、弱肉強食のピラミッドを何度も行き来しながら、絶妙なバランスで『それぞれが生きる環境をお互い脅かすことなく、その生をあるべき姿で全うできること』を繰り返してきました。形態も食物も全てが異なる生物が同時期に生きるには、絶対に発生する事項も含んでいるのです。

「多様性」を叶えるには、尽きることのない淘汰を共にし、弱肉強食を受け入れることが必要です。適した環境を各々で見つけ、それを脅かされない(脅かさない)ということが必要です。『色々な生き物が一緒に生きていく』のではなく『一緒に生きることができないことを認める』ことでもあると思います。

※念のため補足しますが「じゃあ社会的少数派、マイノリティは淘汰されるのか…」というと決してそういうことを言いたいのではありません。

多数か少数かではなく、それぞれに適した環境で絶対に生きていけるのが多様性です。※


志高い経営者の皆様がいう「多様性」は、

『色々な経験を積んだ人間が集まることで既存のサービスにイノベーション(?)を起こし、更なる事業拡大に向け、

各々の経歴に敬意を払い、個人の能力を最大値で発揮できる社風』ということを言いたいのかな、と思います。

でもいわゆる『色々な経験を積んだ人間が集まること』を「多様性」という言葉に頼ると、

本質的に『一緒に生きることができない人』、つまり単純に『会社には適さない人』も広く集まってくる可能性が高まります。

「じゃあ何のために採用選考があるんだ」と思う皆様、ごもっともです。そこは経営技術の一つだと思うので、セオリーに則って実行してください。

問題は入社してからです。「多様性」をスローガンに採用した人がいるとして、その後、”淘汰の歴史”に加わるわけです。

能力的に弱いもの、適した環境を見つけられなかったものは喰われ、たった一人の圧倒的強者によって事業の方向性が変わります。

この事実をコントロールするために会社という「組織」があるのです。

「組織」、ヒトが生み出した生き抜く為の術ですね。

「組織」がしっかりしていれば、『それぞれが生きる環境をお互い脅かすことなく、その生をあるべき姿で全うできること』も可能かなと思います。

『一緒に生きることができないことを認める』、「ああ…この人はこのプロジェクトには入れられないな」という判断もできるということです。

ベンチャー企業によくある起業者精神、敏腕プロデューサーの集合体、それは会社として一つ魅力的であることは間違いないですし、

すごい会社だなあと単純に尊敬します。その反面、得てして「多様性」をコントロールできる「組織」を持っていないことが多い印象です(「組織」すぎても同じことが起きるんですけど)。


まあなにが言いたいかというと、私は「多様性多様性!」と言われて採用されたんですけど、結果として心療内科にかかりその会社を辞めたよ、ということです。

採用された時点で「多様性かあ、そんな難しいことできるのかなあ、不安だなあ」と思ってたんですけど、案の定って感じです。

代表は「多様性だから…!認めてるからさ、多様性を…!」と私を引きとめようとしたわけですが、こちらとしては「だからそれが間違ってるんだよ!!!」としか言えなかったです。生きていけない環境なので、生きていくには離れるしかなっかたわけです。

そもそも「多様性」を「認める」という言葉、全知全能の神かよ、としか思えません。

人の手だけではどうしようもないこと、大きな流れが「多様性」なんじゃないかなあと思います。

「多様性」は簡単に叶えられる言葉ではありません。正直に、『色々な経験を積んだ人間が集まることで既存のサービスにイノベーション(?)を起こし、更なる事業拡大に向け、各々の経歴に敬意を払い、個人の能力を最大値で発揮できる社風』と言ったほうがいいです。っていうかそうしてください、紛らわしいので。

逆に「淘汰の歴史…?多様性…いいねそれ!」と思う方は使ってください。嫌味ではなく、ある意味経済みたいな(?)ところもあると思うので、勉強されると楽しいと思います。生物楽しいですよ。

「多様性」は、寛容とは真逆、弱肉強食、淘汰の歴史、

万が一勘違いし不用意に掲げるには、極端で危険なキーワードであるとお伝えしたいです。

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