2012-08-20

きみやぼくがはるかぜちゃんを嫌う理由

 つまりは、ぼくたちが「挫折したいい子」だからだ。

 ぼくたちは同年代の子どもたちのなかでは一番早熟で聞き分けもいいが、内心ではすべての大人とすべての子供をバカにし、世の中のすべてを見通しているという傲慢を抱いていた。

 それがやがて幻想だったと知るのにきみは何年かかっただろうか。中学生になってから? 高校生? 大学生まで引きずった? 社会人になるまでわからなかった? もしかして、社会人になれなかった?

 ぼくらは賢かった。小賢しかった。控えめにいっても糞生意気なガキだった。

 悲劇だったのは、その「賢さ」が結局のところ中途半端だったことだ。勘がよくても高等な「お勉強」には向かなかった。気がついたときにはきみはもう「いい子」なんかじゃない。誰も褒めてはくれない。いや、そもそも誰かがきみを褒めてくれたことなんかあったか?

 時代は移ろって2012年、ぼくたちは大人になった。かつては俗っぽさを蛇蝎のごとく嫌っていたきみたちも、世間で流行りのtwitterとやらに便乗してさほど後ろめたさを感じないほどには妥協をおぼえた。おや、しかし、まだ昔の性分を忘れられていないようだよ。ちまたのニュースにいちいち「正論」や「持論」をふりかざして、意見を異にする他人を許せない。


 何日かつぶやきつづけたある日、きみははるかぜちゃんを発見する。

 直感的に、むかつくガキだと思う。生理的に、身体が拒否する。

 この生意気なクソガキはもちろん昔のきみに似ている。

 ところが違う点もいっぱいある。

 第一に、美少女だ。きみはそう思わないかもしれないが、しかしテレビに出て活動する程度には世間一般で評価されている可愛らしさをもった女の子だ。

 第二に、そう、評価されている。幼いころのきみより、もしかしたら、今現在のぼくたちよりよっぽど褒められている。なぜだ? 彼女の発言と昔のきみの発言で、質的にどれほど違うというのだろう?

 第三に、なにより、彼女は昔の、あるいは今現在のぼくたちより、ほんの少し頭がいい。あるいは成長速度が速い。彼女はおそらく自分を悟るのも僕らより圧倒的に早いだろうし、あるいはもう気づいているのかもしれない。すくなくとも立ち位置についての自覚には富んでいる。ここまでの「賢さ」はぼくたちには欠けていた。彼女は僕たちが「賢いガキ」などではなかった強力な証拠だ。

 

 ぼくたちはもう少しで「賢い大人」になれたはずだった。だってそうだろう? 「賢いガキ」だったんだから。世の中を誰よりも聡明に見通せたし、自分以外の他人はすべてバカだった。

 でも、現実のぼくたちはむしろ愚かだ。表面上はそうふるまっていないかもしれないが、だが本当のところは限界を悟っている。いいとこ、「平凡な大人」だ。

 はるかぜちゃんは、たぶん将来的に成功するタイプの「賢いガキ」なのだろう。ぼくらがかつて自分でそうだと信じていた人間だったのだろう。似ているはずなのに、決定的な差があるぼくたちとはるかぜちゃん。ぼくたちは報われなかった。彼女は報われるだろう。すくなくとも今現在、報われている。

 だからこそ、ぼくらは妬み、嫌う。

 IT長者なんか目じゃない。金持ちにはいつか抜けるかもしれない。業界の有名人にはいつかなれるかもしれない。トップアスリートは遠い別の世界の人間たちだ、端から興味はない。

 けれどぼくたちには「はるかぜちゃんになれた可能性」があった。そこが問題だ。時間が不可逆で、ぼくたちはもう子供にはなれない。ぼくたちに可能性なんか微塵もないんだ。かつて得られると確信していたはずの類の成功、それはいつのまにかぼくらの手をすりぬけて、どこの馬の骨かもわからないメスガキの手中にある。

 ちやほやされていやがる。

「あのガキもあのままじゃいられない。いつか失敗するさ、いつか……」

 その呪いが成就しないことを、ぼくらは本能的に知っている。ぼくらと彼女は違うとわかっているから。

 

 

 

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